ヤクート族(読み)ヤクートぞく(その他表記)Yakuty

改訂新版 世界大百科事典 「ヤクート族」の意味・わかりやすい解説

ヤクート族 (ヤクートぞく)
Yakuty

ロシア連邦,東シベリアのサハヤクート)共和国の先住民。自称サハSakha。総人口38万(1989)。言語はヤクート語。ヤクート語はチュルク諸語に属するが,長期にわたるツングース語,モンゴル語との接触の結果,音韻,語彙,部分的には文法にいたるまで,他のチュルク語とはちがう特色をもっている。これはヤクート族形成の過程を反映している。ソ連の学者A.P.オクラドニコフは,ヤクート族の中核がバイカル湖付近に住んで牧畜に従事した骨利幹(クリカン)であって,14~15世紀にモンゴル族に圧迫されてレナ川中流部に移ったと主張している。1620-30年ころロシア人がこの地方に進出し,ヤクート族にヤサク(毛皮税)を課した。ヤクート族の生業は17~19世紀,主として牛馬の牧畜であったが,19世紀後半以後は農耕が有力となった。18世紀後半以後,多くがキリスト教へ改宗した。古来シャマニズムも根強く残っていたが,今では表面から消えている。1917年の十月革命後,ヤクート族の生活体制は根本的に変わり,生業は集団化され,作家,芸術家,技術者も多く出現している。56年には主都ヤクーツク市に大学が創設された。民族叙事詩〈オロンホolonkho〉はアイヌの〈ユーカラ〉やフィンランドの〈カレワラ〉に比肩するといわれる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヤクート族」の意味・わかりやすい解説

ヤクート族
ヤクートぞく
Yakut

自称ではサハ Sakha。ロシアのサハ共和国の基幹住民。現在はほとんどロシア化されている。人口約 36万。 300年前,レナ川中流域に住んでいたが,他のシベリア諸民族が衰退していったにもかかわらず,拡大の一途をたどり,1960年にはレナ川全流域およびその周辺地域に人口の大半を擁するようになった。形質的にはモンゴロイドの中央アジア型に類似しており,またその言語はチュルク諸語の一派である。極寒地に住んでいるにもかかわらず,原郷の南方草原からの飼牛経済を中心に漁労も行い,酪農生産物が食物の大半を占める。しかし近年ロシア人の影響で定住農耕民が増加しつつある。父系氏族制で族外婚が行われているが,女性の地位は高く,氏族や家族会議でも重要な役割を果してきた。宗教では,シャーマニズムが盛んであり,悪霊は黒シャーマンが,慈善行為は白シャーマンが司っていた。

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世界大百科事典(旧版)内のヤクート族の言及

【氏族制度】より

…わずかに祭礼の際の供犠や舞踊に氏族のはたらきは残されているが,ここに注意すべきことは,近年のズニ社会にあっては,その宗教的ならびに世俗的な権力が,ある種の神官たちの手に握られ,もともと1氏族の特定家族に限られた神官の階級や,祭祀結社その他の団体が,それぞれ大きな役割を演じて,氏族制度そのものを崩壊に導いたという点である。またシベリアの遊牧民ヤクート族にあっては,ウマの大群を氏族が共有していた間は,緊密な氏族的結合が保たれていたのに反し,ウシの飼育をはじめるとともに,牧畜と所有の単位は家族に分解し,財産の相続をめぐる氏族と家族との矛盾衝突がはげしくなった。別に共同の祭祀と供犠とによって結ばれた,遠い血縁関係にある氏族同士の連合があったが,連合の会議も氏族の会議も,第1に首長と弁士,第2に貴族と戦士,第3に庶民と若者の3部からなり,連合の会議では,各氏族員はそれぞれの第1部を代表に立ててその背後にならんだという。…

【住居】より


[トナカイ遊牧民の天幕ヤランガ]
 ツンドラや森林ツンドラにはトナカイ飼養に専従するいわばトナカイ牧畜が発達した。ネネツ族,ヤクート族の一部,内陸部のチュクチ,コリヤーク族はトナカイ群を追う遊牧生活を送った。その住居はヤランガyarangaと呼ばれる天幕であった。…

※「ヤクート族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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