改訂新版 世界大百科事典 「サハ共和国」の意味・わかりやすい解説
サハ[共和国]
Sakha
ロシア連邦に属する共和国。正称はサハ共和国(ヤクーチア)Respublika Sakha(Yakutiya)。ヤクート語ではSakha Respublikata。〈ヤクーチア〉は古来,この地域の名称としても使われた。1922年4月,ソ連邦ロシア共和国内のヤクートYakut自治共和国となり,1991年のソ連邦の解体後,92年現名称の共和国となった。面積310万3200km2,人口94万9280(2002)。首都ヤクーツク。東シベリアの広大な部分を占め,面積は日本の8.2倍。北極海に面し,中央をレナ川が流れ,西には中央シベリア高原(平均標高500~700m),南にはスタノボイ山脈,アルダン高原(平均標高650~1000m),中央部にはレナ川の東部に沿ってベルホヤンスク山脈,さらにその東にポベダ峰(3147m)を最高峰とするチェルスキー山脈がある。国土の40%以上が北極圏に属している。気候は厳しい大陸性で,1月の平均気温は北極海沿岸で-28~-30℃,その他の地域で-40~-50℃で,ベルホヤンスクなどでは-60℃以下に下がる。夏は短く,7月の平均気温は北極海沿岸で2~5℃,中央部で18~19℃。年降水量は中央部や平地で150~200mm,東部の山間部で500~700mm。北部はツンドラ地帯であるが,国土の約80%はタイガ地帯に属している。豊富な鉱物資源をもち,世界有数のダイヤモンド,金の産地である。ほかに石炭,天然ガス,鉄,スズ,アンチモンなどを産出する。
民族構成は,1950~60年代のロシア人の大量流入により,ヤクート人33.4%,ロシア人50.3%,ウクライナ人7.1%,タタール人1.6%,エベンキ族0.8%,その他6.8%(1989)となっている。この地域は元来,ユカギール族やエベンキ族の居住する地域であったが,10世紀から15世紀にかけてトルコ系のヤクート人が展開し,主要な民族となったものである。そして1620年代からロシア人の進出が始まり,30年代にはロシア領に編入された。ヤクート人や先住民は貢租を課せられたが,ロシア帝国の行政機構は完備せず,ヤクート人独自の社会組織がその後も温存・活用されていた。一方,この地域は流刑地としてロシア政府に利用され,1861年まではそれは強制的な植民の手段でもあった。ヤクーチアにおける農耕は,これら流刑者によって広められたものである。流刑者はデカブリストやポーランドの一月蜂起の指導者など,革命家が多かったが,その中には哲学者のチェルヌイシェフスキー,作家のコロレンコ,民謡・民話の収集家フジャコフI.A.Khudyakov(1842-76),大部の《ヤクート語辞典》を編纂したペカルスキーE.K.Pekarskii(1858-1934),民族学者シェロシェフスキらの名を見いだすことができる。1901年1月には3540人の流刑者がこの地にいた。
ヤクート人は19世紀初頭までに多くがキリスト教に改宗したが,シャマニズムの要素も色濃く残っている。ヤクーチアは長く毛皮資源の産地として知られていたが,1846年に金鉱が発見され,新たな経済的関心を呼ぶようになった。これに対し20世紀に入るころにはヤクート人の民族運動が活発化し,1905年の革命期には〈異族・ヤクート人同盟〉が結成され,流刑者や移民に与えられた土地も含めたいっさいの土地をヤクート人のものと認めるように主張した。十月革命・内戦期にも彼らは白衛軍とともに革命政権に執拗に抵抗し,この地域での戦闘が終わったのは1923年であった。現在この国の産業は前述のように鉱業が中心となっており,とくにダイヤモンドと金については,1992年以降,海外市場における売り上げの,それぞれ45%と25%をロシア連邦から受け取ることになった。アルコール飲料醸造,家具製造,船舶修理なども発展している。農業で中心となっているのは牛,馬,トナカイなどを主とする牧畜とテン,キツネなどの毛皮動物の飼育である。鉄道は南端の一部からBAM(バム)(バイカル・アムール鉄道)およびシベリア鉄道に通じる線が重要な役割を果たしているが,国内の大部分の地域では自動車,船,航空機が主要な交通手段となっている。
サハは資源国である。その豊かな資源が,すべてサハ共和国とその国民に帰属することをロシア連邦が認め(1991年12月),以降,この国の政治・経済的地位は大きく高まった。とはいえ,その自立は,あくまでロシア連邦の憲法の枠内のものであり,また連邦の経済的苦境の波(賃金の遅配など)は,この国をも覆っている。だが,国内には,現状に対する強い反発は見られない。
→ヤクート族
執筆者:青木 節也+勝木 英夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報