ヤーダバ朝(読み)ヤーダバちょう(その他表記)Yādava

改訂新版 世界大百科事典 「ヤーダバ朝」の意味・わかりやすい解説

ヤーダバ朝 (ヤーダバちょう)
Yādava

インドデカン北西部アウランガーバード地方を拠点として,12世紀から約1世紀間,中部・南部インドの支配をめぐってホイサラ,カーカティーヤ両王朝と対立した王朝。1185ころ-1318年。セーブナSevuna朝とも呼ばれる。チャールキヤ朝の封臣であったビッラマBhillamaは主家に抗してデーバギリ(のちのダウラターバード)を首都として王朝を興す。1210年王朝を継いだシンガナSiṅghanaはグジャラート地方を服属させ,また南インドに侵攻してはホイサラ朝と覇を競った。13世紀後半は王朝の拡大・隆盛時代であった。1296年ハルジー朝のアラー・ウッディーン・ハルジーに首都を落とされ,600マウンドの真珠,2マウンドのダイヤモンド,ルビー,エメラルドサファイア,多くの金と象を支払って和平を結んだという。さらに1307年にはマリク・カーフールに再び侵攻されハルジー朝に服属する。1318年ハラパラデーバHarapaladeva王はデリースルタン反旗を翻すも失敗し王朝は滅亡する。王家の支配者は文学を保護し,ダルマ・シャーストラの注釈書を著したヘーマードリもこの時代に活躍した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヤーダバ朝」の意味・わかりやすい解説

ヤーダバ朝
やーだばちょう
Yādava

南インドの王朝。12世紀末から14世紀初頭にかけてデーバギリを都にデカン北西部を支配した。王家の先祖はカリヤーニのチャールキヤ朝の封臣で、セーブナ地方を領有していたためセーブナ朝ともよばれる。チャールキヤ朝と争って独立し、首都をデーバギリに定めたのは12世紀末のビッマラで、カリヤーニを陥れたのち、デカン南部で勢力を伸長したホイサラ朝と争った。13世紀前半のシンガナの時代にさらに勢力が拡大し、領土北方ナルマダ川に、南方ではトゥンガバドラー川に達した。しかし13世紀末以来、デリーのヒルジー朝の侵寇(しんこう)を受けて弱体化し、14世紀初頭には王が捕らえられて滅亡した。13世紀後半の宰相ヘーマードリは学者としても著名である。

[辛島 昇]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヤーダバ朝」の意味・わかりやすい解説

ヤーダバ朝
ヤーダバちょう
Yādava

インド,デカン西部に栄えた王朝 (1187~1312) 。 12世紀末に後期チャールキヤ朝から独立し,デオギリ (デーバギリ) の町をつくって都とした。その後デカンのほぼ全域を支配したが,13世紀末以来デリーのハルジー朝侵入を受けて衰え,1312年に滅んだ。

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