ホイサラ朝(読み)ほいさらちょう(英語表記)Hoysala

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホイサラ朝」の意味・わかりやすい解説

ホイサラ朝
ほいさらちょう
Hoysala

南インドの王朝。ドバーラサムドラ(現ハレービード)を首都に、12世紀前半から14世紀前半にかけてカルナータカ州南部地方を支配した。初めはカリヤーニのチャールキヤ朝の封臣であったが、12世紀前半のビシュヌバルダナ勢力を拡大し、12世紀末バッラーラ2世の治世にチャールキヤ朝を滅ぼして独立した。13世紀には南方チョーラ朝の地深くに進出し、その結果ホイサラ朝は事実上二分して内戦に発展し、北からはヤーダバ朝、南からはパーンディヤ朝に侵攻され危機を招来したが、13世紀末にバッラーラ3世がふたたび王国を統一して勢力を回復した。しかし、14世紀初頭デリー・サルタナットの遠征軍に敗れ、その後マドゥライに成立したムスリム政権との争いによってついに滅亡した。この王朝のもとでは、星型の基壇をもち、壁面に細かなフリーズ彫刻の施されたホイサラ様式とよばれるヒンドゥー寺院が建造され、その代表的なものが、ハレービード、ソームナートプルなどに残っている。

[辛島 昇]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホイサラ朝」の意味・わかりやすい解説

ホイサラ朝
ホイサラちょう
Hoysaḷa

南インドのカルナータカ地方を 11~14世紀まで支配した王朝。都はドーラサムドラ。後期チャールキヤ朝のもとで南のチョーラ朝との戦いに活躍して次第に勢力を伸ばし,チャールキヤ朝の衰退とともに,12世紀中頃トゥンガバドラ川とハガリ川の上流地方を征服した。バッラーラ2世はカーベリ川上流をも支配してチャールキヤ朝から独立 (1190頃) 。 14世紀初めにデリーのイスラム勢力ハルジー朝とこれに代ったトゥグルク朝侵入に悩まされ,また南方マドゥライのイスラム政権や新興ビジャヤナガル王国にも圧迫され,14世紀なかば頃滅亡した。美術史上,ホイサラ様式と呼ばれる独特の寺院建築を残している。

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