ユダヤ人問題(読み)ユダヤじんもんだい

大学事典 「ユダヤ人問題」の解説

ユダヤ人問題
ユダヤじんもんだい

ノーベル賞受賞者に多くのユダヤ人がいるように,ユダヤ人は知的分野において大きな寄与をしてきた。ユダヤ人が子弟の教育にとりわけ熱心で,大学などで高等教育を受けさせることを願うことは,ユダヤ人共同体のあり方と密接に結びついている。

[ユダヤ人の知的志向]

問題という言葉は陰険な論点先取りになることがある。ユダヤ人問題と言うことは,ユダヤ人が問題であると仮定することである」(『続審問』)と,アルゼンチンの現代作家ボルヘス,J.L.(Jorge Luis Borges, J.L.,1899-1986)は指摘している。ユダヤ人に対する偏見としていつも取り上げられるのは,『ベニスの商人』に象徴される物欲や金銭への執着であろう。しかし,オーストリア生まれのユダヤ系作家,シュテファン・ツヴァイク,S.(Stefan Zweig, S.,1881-1942)は,自伝『昨日の世界』において,「富むことがユダヤ人本来の典型的な生活目標」と考えるのは間違いで,「ユダヤ人の本来の意志,その内在的な理想は,精神的なもののなかへ,より高度の文化的な層にのぼって行くこと」であり,それが故に,ユダヤ人社会で最も尊敬されるラビ(ユダヤ教の聖職者)に準ずる者として「精神的人間として通る人間,教授だとか学者だとか音楽家だとかを中心に持っていること」がユダヤ人家族の名誉となるという。

[大学進学とユダヤ人]

周知のように,「知識人」という言葉は,ユダヤ系フランス人ドレフュス大尉をめぐる冤罪事件の際に生まれた。1894年に起きたこのドレフュス事件は,大学人の政治参加とユダヤ人問題が結びついた象徴的事件だった。ほかならぬドレフュス大尉が,エコール・ポリテクニークという理工系エリートの養成学校出身であることは,19世紀末のヨーロッパで,ユダヤ人が高等教育機関を通して社会的昇進を遂げるキャリアパスが構築されていたことを示している。19世紀末以降,ユダヤ人の大学進学率はますます伸張し,それに脅威を覚えた欧米やロシアなど各国では,入学者のユダヤ系比率を一定に抑える「割当制quota system」を実施してきた。大学におけるユダヤ人差別は,学生の入学と教員人事双方にわたるものであり,ナチス・ドイツは,悪名高い全権委任法(1933年)の成立直後に多くの大学からユダヤ系教授を追放した。ユダヤ系であるという理由で,講義と出版を禁じられた哲学者のカール・レーヴィット,K.(Karl Löwith, K.,1897-1973)が,来日して東北帝国大学で哲学を講じた例はよく知られている。

[ユダヤ人の平等を求める模索

ユダヤ人による大学における平等の達成の試みの一つとして,アインシュタイン(Albert Einstein, 1879-1955)が遺産と蔵書を寄贈したことで知られる,ヘブライ大学イスラエル)の設立(1925年)をあげることができるだろう。リトアニアでユダヤ難民を救済した杉原千畝(1900-86)の四男も学び,今日世界中から留学生を受け入れているヘブライ大学だが,その出発点はユダヤ人によるユダヤ人のための大学だった。

 アメリカ合衆国でも,1948年10月にユダヤ人の支援による世俗的大学,ブランダイス大学(アメリカ)が開学した。この大学の設立は,同時期に展開されていた,大学入学におけるユダヤ人の「割当制」撤廃運動に連動したものである。しかし,大学の設立目的は,ユダヤ教の律法を学ぶタルムード学校をつくることでも,ユダヤ人によるユダヤ人のための大学を目指したものでもなかった。この大学の設置運動の根底にあったのは,「人種・宗教が考慮の対象とならない」入試選考を求めることであり,肌の色や宗教の違いを念頭に置かない「カラー・ブラインド」の思想であった。大学におけるユダヤ人差別を撤廃する試みは,20世紀中葉以降,民族や宗教にかかわるあらゆる差別と偏見と闘う平等達成の運動と連動して今日に至っている。
著者: 松浦寛

参考文献: 山本尤『ナチズムと大学―国家権力と学問の自由』中央公論社,1985.

参考文献: 羽田積男「ユダヤ系アメリカ人と大学の創設」『教育学雑誌』第28号,1994.

参考文献: 北美幸「アメリカ・ユダヤ人の平等観るつぼ―世俗的ユダヤ人大学の創設をめぐる議論から」『北九州市立大学外国語学部紀要』第120号,2007.

参考文献: 池端次郎『近代フランス大学人の誕生―大学人史断章』知泉書館,2009.

参考文献: J.L. ボルヘス著,中村健二訳『続審問』岩波書店,2009.

参考文献: Stefan Zweig, Die Welt von Gestern. Erinnerungeneines Europäers, Stockholm, Bermann-Fischer Verlag, 1944.

参考文献: Charle Ch., Les intellectuels en Europe au XIXe siècle: Essai d'histoire comparée, Paris, Ed. du Seuil, 1996.

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ユダヤ人問題」の解説

ユダヤ人問題
ユダヤじんもんだい

古代・中世から現代にいたるまで,ユダヤ人が各地で反ユダヤ感情(anti-semitism)と衝突した問題
ディアスポラ(民族離散)の運命のもとに,ユダヤ人の多くは移住地でその地のキリスト教徒(『新約聖書』で反ユダヤ思想を教えられた)と争う立場に置かれた。中世ヨーロッパでは土地所有を禁じられ,さらにギルドから閉め出され,やむなく貧弱な小売や金貸しを営んだ。またイエスを殺したのはユダヤ人であったという烙印 (らくいん) のため,ユダヤ人街(ゲットー,Ghetto)に隔離されたこともあった。啓蒙思想(レッシング『賢者ナータン』〈1779〉)や自由主義運動の影響で,19世紀には各国で差別の緩和政策がとられたが,東ヨーロッパでは依然としてきびしい圧迫が続いた。ロシアではユダヤ人に対する集団暴動(ポグロム)が激しく,多数のユダヤ人が難を避けてアメリカに移住した。19世紀末からヘルツェルの提唱により,ユダヤ人の間で故郷パレスチナに国をつくろうというシオニズムが起こり,第一次世界大戦中のバルフォア宣言はこの運動を一歩前進させた。第二次世界大戦中,ナチスによる迫害を受け(アウシュヴィッツの悲劇など),1948年イスラエル共和国が成立したが,この国の成立は,アラブ人の地域に割り込んだ結果になり,アラブ人との紛争が相ついだ(1948年パレスチナ戦争,67・73年中東戦争)。またイスラエル内部では,移住してきた者の出身地による意識の不一致が存在する。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

ゲリラ豪雨

突発的に発生し、局地的に限られた地域に降る激しい豪雨のこと。長くても1時間程度しか続かず、豪雨の降る範囲は広くても10キロメートル四方くらいと狭い局地的大雨。このため、前線や低気圧、台風などに伴う集中...

ゲリラ豪雨の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android