翻訳|synagogue
ユダヤ教の公的な祈禱・礼拝の場所(会堂)をさす語。ギリシア語で〈集会〉を意味するシュナゴゲsynagōgēに由来し,ヘブライ語では,ベート・クネセットbêṯ kenēseṯという。その起源については種々の説があるが,一般には前586年のユダ王国滅亡後のバビロン捕囚時代に,焼失したエルサレムの神殿(第一神殿)に代わる彼らの公的祈りの場所として発達したとする説が有力である。捕囚後の前515年にエルサレムの神殿が再建され(第二神殿),彼らの宗教的生活規範である律法書(〈モーセ五書〉)が完成してからは,これを共に読み学ぶ機関となった。とくにパレスティナでは,律法の知識をユダヤ全国民の間に徹底させることによって民族の一体性を維持しようとするパリサイ派によって,律法教育の場として用いられた。そのようなシナゴーグがローマ軍による第二神殿破壊(後70)のころまでに全パレスティナに普及し,エルサレムだけでも400も存在したという。イエスもナザレのシナゴーグで教育を受け,後に当地とさらにカペナウムのシナゴーグでも説教をした(《ルカによる福音書》4:14~20,《マルコによる福音書》1:21)。シナゴーグはシリア,小アジア,北アフリカなどのディアスポラ(離散のユダヤ人)の間にもヘレニズム時代に広く発展し,エジプトではすでに前3世紀に存在したことが出土碑文によって証明されている。パレスティナでは第1次ユダヤ戦争のとき,ユダヤ反乱軍の最後の拠点となったマサダとヘロディウムに残存するシナゴーグが紀元前に属する最古のものである。
神殿の礼拝が犠牲中心であったのに対して,シナゴーグの礼拝においては犠牲はささげず,聖書の朗読とその解説(説教)が中心だった。最初は3年サイクルで〈モーセ五書〉全巻を154の週課に分けて通読していたが,後に1年サイクルに変わった。この礼拝形式は後のキリスト教やイスラムのそれの基礎となった。またシナゴーグには,一種の義務教育としてユダヤの少年たちに旧約聖書本文を教える学校(ベート・ハッセーフェル)と,より高度の律法研究機関(ベート・ハッミドラーシ)が付設され,シナゴーグはしばしば学校と同一視された。神殿崩壊後は,シナゴーグは文字どおりユダヤ民族の精神的統合のシンボルとして,民族維持の原動力となった。
今日パレスティナだけでも200近いローマ・ビザンティン時代の遺構が発掘されており,その大半がガリラヤ地区に集中している。ローマ時代(3世紀)のものは,正面入口を南方のエルサレムに向けた壮大なバシリカ形式の石造建築である。その代表的なものがカペナウム,コラジン,バラアムなどにある。ビザンティン時代になると外形よりも内部装飾に意を用い,壮麗なモザイク床で飾ったものが多い(ガリラヤ湖畔から発掘されたハマト・ティベリアス,ハマト・ガデル,ベート・アルファ,イェリコのシナゴーグなど)。ディアスポラの古代シナゴーグとしては,シリア東部のユーフラテス河畔から発掘されたドゥラ・ユーロポスのシナゴーグ(3世紀)が,旧約聖書の物語に取材した大規模なフレスコ画の装飾で有名である。また古代ローマには出土碑文によってその所在が確認されているものが11ある。ローマの外港オスティアからは壮大な遺構(1世紀)が発掘されており,小アジアでもサルディス,ミレトス,プリエネなどで発掘されている。これらのギリシア・ローマ世界に存在したディアスポラのシナゴーグは広く門戸を異邦人に開放し,ユダヤ教への改宗者を多く得た。初期キリスト教会はこれらシナゴーグによって耕された土壌の上に,新しい福音の種子をまくことによって,急速に地中海世界に発展したのである。
執筆者:関谷 定夫 シナゴーグの建設は,古代ローマ帝国下では制限されていたが,中世には西アジアや地中海地域,あるいはヨーロッパにおいても建設がすすんだ。西アジアではバグダード,ダマスクス,フスタート(カイロ)のものが知られ,ヨーロッパではトレド,ウォルムス,レーゲンスブルク,プラハ,クラクフなどのものが著名であった。
中・近世においても18~19世紀にいたるまで,ユダヤ教徒の個人およびコミュニティの生活は宗教と一体化しており,完全に世俗的な生活というものは存在しなかった。ユダヤ教徒は聖日,安息日にシナゴーグに集まって礼拝を行い,律法を読み,戒律を教えられてきた。そして祈りの家,学びの家としてのほかに,中世以後はコミュニティ・センターとしての機能が強くなり,シナゴーグに隣接する中庭では,判例が読みあげられ,婚礼が祝われた。さらに,中世では旅人の宿泊所にもなって,外部世界の情報の集積所としての性格も加わった。
このように,ユダヤ教徒の生活におけるシナゴーグの重要性が高まるにつれて,いわゆる破門・追放にあたるシナゴーグへの参会禁止処分は,ユダヤ教徒社会の最も過酷な社会的制裁として作用した。同時に,シナゴーグはユダヤ教徒・ユダヤ人社会のシンボルでもあったから,とくにヨーロッパにおいては反ユダヤ主義の攻撃対象ともなったのである。ナチスのいわゆる〈水晶の夜〉(1938年11月9日夜)には,ドイツで約280のシナゴーグが破壊されたり焼かれたりした。オーストリアでは1938年11月10日だけで56のシナゴーグが破壊された。
シナゴーグの数(1973推定)は全世界で約1万3162,アメリカ合衆国には5500,旧ソ連には62(ソビエト資料では97),イスラエルには6000,日本には,東京と神戸,および横須賀と座間のアメリカ軍基地にある。
執筆者:児玉 昇
シナゴーグではユダヤ教の礼拝儀式に伴うヘブライ語宗教歌が歌われた。それらは旧約聖書の朗唱,祈禱歌,賛歌などで,いずれも無伴奏である。ことに賛歌は中世以降,合唱長(ハザン)の出現によりさかんに創作され,シナゴーグ音楽の豊かな創造領域を形成した。これらの宗教歌は口伝により,ユダヤ教徒の離散の各コミュニティでその音楽的伝統の支柱を形成しながら今日にいたっている。初期シナゴーグ音楽のグレゴリオ聖歌への影響はとくに重要である。
→ユダヤ音楽
執筆者:水野 信男
12世紀中ごろ以降,キリスト教会堂の装飾にシナゴーグ(ユダヤ教会)とエクレシアekklēsia,ecclesia(キリスト教会)を対比させた,寓意的女性像の表現があらわれる。通常シナゴーグはベールで目隠しをし,手には折れた槍を持つ。エクレシアは栄光の冠をかぶり,手に持つ槍には希望の旗がついている。その姿は,ユダヤ教会(旧約聖書)はキリスト教会(新約聖書)によって凌駕されるべきである,との考えを表したものである。こうした考えは,パリ郊外サン・ドニ修道院内陣のステンド・グラス(1144)の中で最初に明らかにされた。ここでは,中央にキリストが立ち,キリストは右側にいるエクレシアに冠をさずけ,左側にいるシナゴーグのベールをとっている。そこには,当時の修道院長シュジェールSugerによる〈モーセがベールで覆ったものは,キリストの教義によって暴かれる〉という文句が記されている。この主題は,13世紀のゴシック大聖堂扉口彫刻にとり入れられ,ストラスブール大聖堂(シナゴーグ像は,現在同大聖堂美術館蔵)やランス大聖堂にその例がある。
→ユダヤ教
執筆者:馬杉 宗夫
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ギリシア語で集合、招集の意。『新約聖書』では集会所(邦語聖書では会堂)の意で用いられる。その起源はかならずしも明らかでなく、『旧約聖書』にもその言及がない。おそらくイスラエル民族がバビロン捕囚(前587)ののち、エルサレム神殿において礼拝を守ることができなくなったので、彼らはそれぞれの離散の地に集会所を設け、そこで聖書を朗読し、それを説き明かし、祈りをすることによって自民族のアイデンティティ(自己同一性)を保ってきた。このようにシナゴーグは、当初から今日に至るまで、ユダヤ人のコミュニティ・センターの役割を果たしてきた。
今日、シナゴーグには、宗教的儀式のために用いられる「集いの家」(ベート・ハ・クネセト)と、礼拝のみならず勉学のためにも用いられる「勉学の家」(ベート・ハ・ミドラシュ)との2種類がある。ユダヤ教の教え(ハラハー)によれば、前者は地域でもっとも高い建物でなければならず、同建物内での寝食を禁じられている。また、ときに礼拝堂では婦人席が別置されていることもある。後者は通常蔵書が多数あり、グループ学習ができるような設備がある。
[定形日佐雄]
『アラン・ウンターマン著、石川耕一郎・市川裕訳『ユダヤ人』(1983・筑摩書房)』
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ユダヤ教の会堂。その起源は明らかでないが,バビロン捕囚の間,イェルサレム神殿に代わって礼拝の場所となったものであろう。神殿におけるような供犠は行われず,聖書を教え,祈りがなされた。ヘレニズム時代以後,ディアスポラのユダヤ人の在留地には必ず存在した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…またブリューゲル等の画題となった〈盲人の行列〉は,1人の盲人が盲人を手引きすれば2人とも穴に落ちるというたとえ話で,イエスがパリサイ人をさして語った言葉(《マタイによる福音書》15:14など)から出た。このほかにキリスト教美術では目隠しした乙女像がユダヤ教会(シナゴーグ)を表し,キリストの教えを知らないユダヤ教徒の心の闇を暗示する。また目隠しされた聖人の場合はバプテスマのヨハネやパウロを表し,殉教を示すことになる。…
…また,そこではすでに各種の旋法も確立していた。(2)離散時代 後70年のエルサレム神殿陥落により,古代イスラエルの宗教形態はその幕をおろし,それに代わってシナゴーグの音楽が,新しいユダヤ音楽の伝統の中心を形成した。そこでは楽器は,ショファル以外は用いられなくなり,儀式音楽はもっぱら無伴奏の声楽を主体とした。…
…しかし,すでにバビロン捕囚時代から,神殿祭儀なしに民族的・宗教的共同体を維持する努力が払われてきた。その結果,第2神殿時代を通じて,礼拝と律法研究のために,安息日(シャバット)ごとに各居住地の成員が集まるシナゴーグ(集会所)が発達した。パリサイ派律法学者たちは,シナゴーグを活動の本拠としていたため,神殿の破壊から本質的な打撃を被らなかった。…
※「シナゴーグ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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