改訂新版 世界大百科事典 「ヨーロッパ協調」の意味・わかりやすい解説
ヨーロッパ協調 (ヨーロッパきょうちょう)
Concert of Europe
ナポレオン戦争以降のヨーロッパでみられた,大国の間の合議と協調によって国際紛争の処理を行うシステム。常設の機構を置くことなく,問題が生起するごとに特別な国際会議がもたれ,諸国間の相互調整による解決が図られることを特徴とする。システムを構成したのは,オーストリア,フランス,イギリス,ロシア,およびプロイセン(のちにドイツ),さらにのちにイタリアを加えたヨーロッパの諸列強である。問題の直接当事者である小国が会議に参加することもあったが,列強間の合意・妥協により諸事は決定された。
時期的には,ウィーン会議以後第1次世界大戦までをヨーロッパ協調の時代としてとらえることが多く,そこでは東方問題の処理にあたった1878年のベルリン会議や第1次モロッコ事件を収拾した1906年のアルヘシラス会議などが例としてあげられる。他方,狭くとらえる場合は,列強の間の平和が崩れたクリミア戦争までの時期をいうこともある。その際,四国同盟にフランスの加入を認めた1818年のエクス・ラ・シャペル会議,シチリア王国の革命に干渉することを決めた1821年のライバハ会議,スペインの革命(リエゴ革命)への干渉を決めた1822年のベローナ会議などのいわゆる会議外交を指すことになるが,それとは逆に1848年の革命以降についていう外交史家もあり,さまざまである。
いずれにせよ重要なのは,列強が互いにこのシステムのメンバーとして認めあい,合議によって問題を処理しようとしたこと,そしてそれが可能であったことである。したがって,他の列強に諮ることなく直接当事国のみで問題を解決するような場合は,ヨーロッパ協調が働いたとはいえない。また,合議による解決を可能にするような列強間の利害の一致,または利害の錯綜が前提条件となる以上,ヨーロッパ内部での矛盾の解決法としての植民地分割がほぼ限界に達し,三国同盟と三国協商へと列強の固定的二分化がみられた第1次世界大戦前夜には,ヨーロッパ協調はもはや機能し難かった。そして戦後,アメリカや日本が国際システムの主要成員として加わると,それは確実に過去のものとなった。
執筆者:高原 孝生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報