日本大百科全書(ニッポニカ) 「アルヘシラス会議」の意味・わかりやすい解説 アルヘシラス会議あるへしらすかいぎ 第一次モロッコ事件(タンジール事件)を収拾するため、ドイツの提唱で、1906年1~4月に南スペインのアルヘシラスAlgecirasで開かれた国際会議。モロッコでのフランスの優越権に反対するドイツは、この会議で、フランスの政策を阻止しようとした。しかし参加13か国中、ドイツを支持したのはオーストリア1国で、他のイギリス、アメリカ、ロシア、イタリア、スペインがフランスを支持。この結果、モロッコは事実上フランスの保護領となり、またドイツの国際的孤立が明らかとなった。[木谷 勤][参照項目] | モロッコ事件 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アルヘシラス会議」の意味・わかりやすい解説 アルヘシラス会議アルヘシラスかいぎAlgeciras Conference 1906年1月 16日~4月7日,スペインのアルヘシラスでイギリス,アメリカ,フランス,ドイツなど欧米の 13ヵ国が参加して開かれた国際会議。モロッコをめぐる主としてフランスとドイツの対立の調整を目的とするもので,その結果モロッコは国際管理のもとにおかれることになったが,モロッコに対するフランスの優越的地位が認められ,ドイツのモロッコ奪取は失敗した。 (→タンジール事件 ) 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報