アメリカの作曲家。ニューヨーク生まれ。1957年にコーネル大学哲学科を卒業。ホール・オーバートンHall Overton(1920―1972)に作曲を学び、1958年から1961年までジュリアード音楽学校で修業し、ついでミルズ・カレッジでダリウス・ミヨーらに師事した。1963年音楽修士号取得。1965年にテープ録音をリミックスした実験的な『イッツ・ゴナ・レイン』を発表し、1966年にアンサンブルを結成して演奏活動も始める。クラシックやジャズの影響を受けている彼は、1970年にアフリカで打楽器を学び、その後バリ島のガムランやヘブライ聖書の詠唱法なども研究した。1980年代に入って『砂漠の音楽』(1984)など力作を発表した。短い楽句とリズムのカノン的な繰り返しと変化、重ねた音の微妙なずれなどから特異な効果をあげる彼の音楽は「ミニマル・ミュージック」とよばれ、ロック系ポピュラー音楽にも影響を及ぼしている。クロノス・クァルテットが録音した『ディファレント・トレインズ』で、1989年度グラミー賞の最優秀コンテンポラリー作曲賞を受賞した。
[青木 啓]
『小沼純一著『ミニマル・ミュージック』(1997・青土社)』▽『エドワード・ストリックランド著、柿沼敏江・米田栄訳『アメリカン・ニュー・ミュージック――実験音楽、ミニマル・ミュージックからジャズ・アヴァンギャルドまで』(1998・勁草書房)』
精神分析学者。オーストリア生まれのユダヤ人。ウィーン大学医学部時代にフロイトの講義を受け、精神分析の研究を目ざす。1923年オーストリア社会党に入党し、1928年には共産党に入党。マルクス主義と精神分析の結合を図る。1933年に『性格分析』『ファシズムの大衆心理』を出版。後者の著作は、労働者層や中産階級がなぜファシズム運動に参加したかという問題を、経済決定論をとるマルクス主義では説明できないと述べて、性・エネルギー経済論の側面から分析し、同年共産党から除名される。1934年オスロに亡命し、1939年にはアメリカに亡命。1941年敵性外国人の疑いで逮捕されるが翌1942年釈放。このころ、オーゴン(特殊な生物エネルギー)生命物理学とそれによる療法を唱え、1940年にオーゴン・ボックスorgone boxをつくるが、1954年アメリカ当局はその販売を禁止し、1955年には裁判沙汰(ざた)となる。1957年3月、法廷侮辱罪でコネティカット州の刑務所に一時的に投獄され、同年11月ペンシルベニアの連邦刑務所で心臓発作のため死亡した。
[田中 浩]
ドイツの物理学者、化学者。ベルンブルクの生まれ。ライプツィヒ、フライベルク、ゲッティンゲン、パリで学んだのち、フライベルク鉱山学校で1824~1866年視学官、1827~1860年物理学教授、1842~1856年理論化学教授を務めた。1863年助手のH・T・リヒターの協力を得て、フライベルク産の閃(せん)亜鉛鉱からインジウムを発見し、不純ながらその単離に成功した。地磁気の偏角、フライベルクの降雪量・降雨量の記録、地下深部の温度、地球の平均密度などの研究のほか、母国ザクセンへのメートル法の導入に寄与した。また、精錬の煙害を防ぐため、二酸化硫黄(いおう)の測定法を考案した。
[内田正夫]
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オーストリア生れの精神分析学者。ウィーン大学卒業後,ウィーン精神分析診療所で,精神分析とマルクス主義の統合を目ざして活躍する一方,精神分析技法ゼミナールを主宰して,研究と指導に専念した。患者の態度やふるまいに現れる性格抵抗(主要な抵抗)に注目した〈性格分析〉の理論と技法とを追求して,《性格分析》(1932)を発表し,古典的精神分析から現代の自我心理学的精神分析への発展の端緒を切り開いた。社会学的見地に立ち,社会適応を重視した性格形成論,性を社会的抑圧から解放し,〈性器性欲の優位性〉を確立して,健康なオーガスムを体験する能力を獲得することこそ健康の基盤であるとする性革命理論などが知られている。
共産主義者としても積極的に活動したが,33年ドイツ共産党から,ついで34年国際精神分析学会から除名され,ストックホルムやオスロを経て,39年アメリカに亡命した。そのころから精神に変調をきたし,〈オーゴン療法〉を創始したと唱えてこれに熱中するようになった。〈オーゴン・エネルギー〉と名付ける宇宙エネルギーの存在を信じ,このエネルギーを集める力を持った〈オーゴン・ボックス〉に入ると,すべての性障害が治ると称して,この金属箱を販売した。これがアメリカの薬事法違反に問われ,裁判中法廷侮辱罪で投獄され,不遇のうちに獄死した。著書はほかに《衝動的性格》(1925),《ファシズムの大衆心理》(1933),《性と文化の革命(セクシャル・レボリューション)》(1945)など多数にのぼる。
執筆者:馬場 謙一
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出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
…この動物磁気にかわってS.フロイトやユングはリビドーという生命エネルギーのようなものを仮定した。さらにフロイトの弟子ライヒは,このリビドーなるものを本気で試験管の中にとり出し,ガイガー計数器で量ることができるものとして,そのエネルギー体を〈オルゴン・エネルギー〉と称した。そしてこれを注入すれば,癌の治療なども可能だと信じた。…
…彼は人格における自我の機能に注目し,自我と衝動体イドと行動の規準の内面化による超自我との葛藤や妥協を力動的にとらえて,人格をその相互関係の過程の上で扱っている。これに続く者として,フロイトの精神分析から現代精神分析への転向を方向づけたライヒ,超自我の早期形成の影響を解明したM.クラインなどがあげられる。またE.H.エリクソンは人格の形成に関する精神分析理論に比較文化論的・対人関係論的見地を導入した。…
…またドイツ語圏だけでなくアメリカにも急速に受け入れられ,31年にはニューヨーク,シカゴにも学会が開かれた。しかし,そのころまでには,はじめフロイトの弟子ないし賛同者であった者のなかから,A.アードラーやユングがフロイトと見解を異にして離れ去り,それぞれ独自の無意識探求の道に進み,また20年代はじめにはランクO.Rank(1844‐1939),シュテーケルW.Stekel(1868‐1940),S.フェレンツィ,W.ライヒらも,しだいにそれぞれの見解を発展させた。この間,創始者のフロイト自身も,精神分析を自我分析や文化・社会理論に拡大する一方,無意識の第一義性や幼児性欲(およびエディプス・コンプレクス)の承認を正統派の要件としたから,精神分析運動には正統派と修正派の争いが生まれた。…
※「ライヒ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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