ベリオ(読み)べりお(その他表記)Luciano Berio

デジタル大辞泉 「ベリオ」の意味・読み・例文・類語

ベリオ(Luciano Berio)

[1925~2003]イタリアの作曲家。電子音楽などの作品を残し、イタリアの前衛音楽界をリードした。作「セクエンツァシリーズ、「シンフォニア」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベリオ」の意味・わかりやすい解説

ベリオ
べりお
Luciano Berio
(1925―2003)

イタリアの作曲家。ノーノブソッティとともに、第二次世界大戦後のイタリア前衛音楽を代表する。1955年、イタリア国営放送ミラノ局に設立された音声学スタジオのディレクターとなって以来、電子音楽やコンピュータ音楽への関心が高まる。同じ世代、ことに同じようにダルムシュタット夏期音楽講座で活躍し、比較されることの多いブーレーズシュトックハウゼンに比べると、調性を忌避しないところに特徴がみられ、『シンフォニア』Sinfonia(1968)のようにドビュッシーマーラーの古典交響曲をコラージュしたような作品もある。代表作に女声と電子音のための『テーマ・ジョイス頌(しょう)』(1958)、室内楽曲シリーズ『セクエンツァ』第1番~第14番(1958~2002)、声楽曲『サークルズ』(1960)、劇作品『ラボリントゥスⅡ』(1965)、オペラ『真実の物語』(1982)、管弦楽曲『フォルマツィオーニ』(1987)、オペラ『場所のニュース』(1999)などがある。指揮や演出も手がける。

[細川周平]

『武満徹著『歌の翼、言葉の杖――武満徹対談集』(1993・ティビーエス・ブリタニカ)』『デヴィッド・オズモンド・スミス著、松平頼暁訳『ベリオ――現代音楽の航海者』(1998・青土社)』『山下史路著『イタリアの今を創るマニーフィコ(すごい人)たち』(2001・JTB)』『Luciano Berio, Two Interviews(1989, Marion Boyars)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「ベリオ」の意味・わかりやすい解説

ベリオ

イタリアの作曲家。リグリア州のオネリアにオルガン奏者の子として生まれ,第2次世界大戦中はパルチザンに参加。ミラノ音楽院を卒業後,ダラピッコラに教えを受ける。1950年,米国のソプラノ歌手キャシー・バーベリアンCathy Berberian〔1925-1983〕と結婚(−1966年)。1955年,マデルナとともにミラノのイタリア放送協会に電子音楽スタジオを開設。1959年まで所長を務めるとともに,女声と電子音のための《テーマ:ジョイス礼賛》(1958年)などで電子音楽パイオニアとなる。以後,バーベリアンの協力を得て言語音や声を素材にした声楽作品で独自の探究を進め,女声と室内楽のための《サークルズ》(1961年,詩カミングズ),コラージュ技法を用いた代表作《シンフォニア》(1969年)などを発表。1963年−1972年は米国を拠点に活動し,1977年−1980年にはパリのIRCAMブーレーズ)の音響部門の責任者を務めた。ほかに,声と器楽のための《コーロ》(1976年,詩ネルーダほか),独奏楽器のための《セクエンツァ》のシリーズなどがあり,1970年代以降は旧来のオペラを換骨奪胎した舞台作品,《耳をすましている王様》(1984年),スカラ座の委嘱による《ウーティス》(1996年)などが話題を呼んだ。→ブリュッヘン/S.ライヒ
→関連項目偶然性の音楽ホリガーミルバ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「ベリオ」の意味・わかりやすい解説

ベリオ
Luciano Berio
生没年:1925-2003

イタリアの作曲家。1950年ミラノ音楽院卒業後渡米,タングルウッド(マサチューセッツ州)のバークシャー音楽センターでL.ダラピッコラに十二音技法を学ぶ。帰国後K.シュトックハウゼンB.マデルナと知り合い,ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習に参加。またミラノのイタリア放送協会に電子音楽スタジオを設立するために尽力,55年設立後61年まで所長を務めた。63年再度渡米,65-71年ジュリアード音楽学校で教え,かたわら現代音楽のためのジュリアード・アンサンブルを組織した。また77年に設立されたパリの音響・音楽の探求と調整の研究所(IRCAM)の電気音響部門の責任者を80年まで務め,以後そのミラノ支部長。76年よりアカデミア・フィラルモニカ・ロマーナの芸術監督。

 イタリアを代表する前衛的作曲家で,言語音や声そのものを素材とする〈言語作曲text composition〉の分野を切り開き,50年代末から60年代前半の作曲界に大きな影響を与えた。言語音を電子音楽的に処理した《テーマ : ジョイス礼賛》(1958),笑いから叫びまで声のあらゆる表情をとらえた電子音楽《ビザージュ》(1961),女声独唱のための《セクエンツァ第3番》(1965)などが,その代表作であるが,これらは彼の柔軟なイタリア的感性と夫人であった歌手バーベリアンCathy Berberian(1928-83)の発声の融合といえよう。さらに偶然性を用いた女声と室内楽のための《サークルズ》(1961),シアター・ピース《ラボリントゥス第2番》(1965),コラージュ技法による《シンフォニア》(1969),名人芸を追求した独奏(唱)のための《セクエンツァ》シリーズ(1958-),改作を創造の手段とする開かれた作品,室内楽のための《シュマン》シリーズ(1965-)などの実験的な作品を書き続け,晩年には《オペラ》(1970,77改訂),オペラ《耳をすましている王様》(1984)など舞台作品に意欲をみせた。
執筆者:


ベリオ
Charles Auguste de Bériot
生没年:1802-70

ベルギーのバイオリン奏者,作曲家。18歳のときパリでビオッティの推薦により,P.バイヨに師事した。ビオッティ,バイヨらの厳格なスタイルを脱し,パガニーニの華麗な技巧を取り入れた優雅でロマン的な演奏様式を確立した。高名な弟子としてはビュータンがいる。その演奏スタイルを受け継いだフランス,ベルギーの優れたバイオリン奏者の系譜は〈近代フランス・ベルギー楽派〉とも呼ばれ,19世紀におけるバイオリン演奏の主要な流れを形成している。作品としては10曲のバイオリン協奏曲のほか,教則本,練習曲などを残した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベリオ」の意味・わかりやすい解説

ベリオ
Berio, Luciano

[生]1925.10.24. オネリア
[没]2003.5.27. ローマ
イタリアの作曲家。ミラノ音楽院に学ぶ。クーセビツキー財団の奨学金で渡米し,マサチューセッツ州タングルウッドの講習会で L.ダラピッコラに師事。 1954年から B.マデルナとともにミラノのイタリア放送協会に電子音楽スタジオを創設。作品は『ムタツィオーニ』 (1955) ,『ジョイス讃』 (1959) ,『ディフェレンシズ』 (1959) ,『モメンティ』 (1960) ,『サークルズ』 (1960) ,『シンフォニア』 (1968~69) ,『リネア』 (1973) 。

ベリオ
Verrio, Antonio

[生]1639
[没]1707
イタリアの画家。 1671年フランス・アカデミーの名誉会員。ナポリ派に属し,75~84年イギリスで活躍,84年に宮廷画家となった。主要作品はイエズス会のフレスコ画『病を癒やすキリスト』 (1660) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「ベリオ」の解説

ベリオ

イタリアの作曲家。セリー音楽による初期作品から、不確定性を導入したもの、コラージュによる作品と、新たな手法を求め続けた。その点で、20世紀の先導的作曲家の1人となっている。イタリアの記号学者ウンベル ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

世界大百科事典(旧版)内のベリオの言及

【イタリア音楽】より


[現代]
 第2次世界大戦後,今日においてもイタリアは,世界の諸国の中でももっとも音楽的な国のひとつとして知られている。L.ベリオをはじめとするシリアス音楽の作曲家たちは,もっとも前衛的な創作活動の一翼を担い続けてきた。イタリアの楽界はまた,スカラ座をはじめとする諸劇場におけるオペラの上演や,イタリア放送協会のオーケストラなどの演奏に,高い水準を示しており,ピアノのM.ポリーニらをはじめとして,名演奏家にも事欠かない。…

※「ベリオ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android