ラトケ(読み)らとけ(英語表記)Wolfgang Ratke (Ratich, Ratichius)

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラトケ」の意味・わかりやすい解説

ラトケ(Wolfgang Ratke, Ratich Ratichius)
らとけ
Wolfgang Ratke (Ratich, Ratichius)
(1571―1635)

ドイツの教育改革者。17世紀ドイツの絶対主義国家体制に抵抗した教育運動の代表者、教育史上の直観教授法の先駆者である。コメニウスとともに民衆の幸福と平和社会の実現のための教育を重視した。フランクフルトで皇帝選挙のためのドイツ国会に『教育改革意見書』を提出(1612)、全ドイツの平和を、統一した言語統治宗教によって実現すべきとした。ドイツ諸邦を遍歴しながら教育改革案に賛同する王侯を求め、ケーテンのルートウィヒ侯Fürst Ludwig von Anhalt-Köthen(1579―1650)のもとで、1618年ラトケ教授法による学校改革事業に着手、翌1619年開校したが1年足らずで挫折(ざせつ)した。すべての子供の就学する民衆のための学校をつくろうとしたが実らなかった。

[増渕幸男]


ラトケ(Martin Heinrich Rathke)
らとけ

ラートケ

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ラトケ」の意味・わかりやすい解説

ラトケ
Johann Wolfgang Ratke
生没年:1571-1635

17世紀ドイツに輩出した教育学者の代表の一人。北ドイツに生まれる。言語教育の改革から出発し,教育全般の改革にとりくむ。当時のドイツの分裂武力による抗争状態を憂え,言語と政府と宗教を統一することによる平和な社会の実現を願った。実験的な学校の新設,教科書の編集などに力をつくしたが,いずれも志どおりには運ばなかった。自然の秩序に合致した教育方法を説き,教育における方法の固有の価値を認めた最初の人と評される。まず母国語で教えること,すべて強制しないこと,理解なしに暗記させないこと,個々の実験を通して学びとらせることなど今日では常識となっている教授原則を確立し,つづくJ.A.コメニウスの体系的教授学成立の下地をつくった。
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