ランカシャー(読み)らんかしゃー(英語表記)Lancashire

翻訳|Lancashire

精選版 日本国語大辞典 「ランカシャー」の意味・読み・例文・類語

ランカシャー

(Lancashire) イギリスイングランド北西部の州、また、その地方。州都プレストン。石炭鉄鉱石を豊富に埋蔵し、産業革命前後から世界的な綿工業地帯が形成され、さらに機械化学・食品などの工業が発展した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ランカシャー」の意味・わかりやすい解説

ランカシャー
らんかしゃー
Lancashire

イギリス、イングランド北西部のカウンティ(県)。1971年の人口は約511万でイギリス総人口の約1割が含まれていたが、74年の地方行政改革でマンチェスターリバプールなどの大都市圏が分離し、98年にはブラックバーン、ブラックプールの2地区がユニタリー・オーソリティー(一層制地方自治体)として分離し、面積2897平方キロメートル、人口113万4976(2001)となった。東はペニン山脈、西はアイリッシュ海に接し、大別すると東の丘陵部と西の平野部からなる。産業は、丘陵部の牧羊、平野部の酪農、野菜栽培など農牧業も盛んだが、イギリス最大の炭田があり、加えて発達した交通網に恵まれ、産業革命期には綿工業を中心に工業の飛躍的発展がみられ、多数の工業都市が出現した。マンチェスターは綿工業の世界的中心となり、綿花・穀物の輸入で発展した西の海港都市リバプールとは、1830年にリバプール・マンチェスター鉄道、1894年にマンチェスター運河で結ばれ、両都市はランカシャー発展の軸となった。綿工業は19世紀にランカシャー工業の大部分を占めたが、20世紀に入ると新しい工業の発展が始まった。とくに第二次世界大戦後は綿工業の衰退が著しく、電気機械、衣服、自動車、食品、精油などの工業が重要になってきた。

[井内 昇]

歴史

ローマのブリテン島支配時代には、ランカスター、マンチェスターをはじめ何か所かのローマ人の拠点がこの地域に存在した。5世紀にローマ人が去ったあと、アングロ・サクソン人、さらにはデーン人がこの地域を支配し、とくに北部はイングランド王国への編入が遅れた。11世紀末に作成された土地台帳(ドゥームズデー・ブック)においては、ランカシャーの名前は現れず、南部はチェシャーと、北部はヨークシャーといっしょにされている。今日のランカシャーの地域が一つの所領(オナーhonour)にまとめられたのは1118年のことで、それ以来この地域はしばしば王族に与えられた。1267年にはヘンリー3世の次男エドマンドがランカスター伯に敍され、以後何人かのランカスター伯、ランカスター公がイングランドの政治に大きな影響を及ぼした。1399年、ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの息子ヘンリーがランカスター朝初代の王(ヘンリー4世)となり、ランカスター公領は王領に復帰した。しかし公領は他の王領とは区別される特別な単位として存続し、ランカシャーは近代になっても法制上特異な扱いを受けた。

 しかしこの地域がイギリス近代史のうえで重要な役割を果たしたのは、経済的な側面においてであった。14世紀のペストや15世紀のばら戦争では大きな被害を受けたが、中世末から繊維工業が発展して、この地域は先進的な産業地帯となった。カトリック勢力が強い土地柄で、17世紀の市民革命期には王党派が有力となり、18世紀前半のジャコバイトの乱でも反乱派の動きが目だったが、18世紀後半からは産業革命の舞台となってイギリスの経済・社会をリードした。とくに、商港リバプールと炭田地帯を近くにもったマンチェスターでは、綿工業が大発展を遂げ、この町の動向が19世紀イギリスの政治を規定するとさえいわれるようになった。

[青木 康]

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改訂新版 世界大百科事典 「ランカシャー」の意味・わかりやすい解説

ランカシャー
Lancashire

イギリス,イングランド北西部にある地方。1974年までのランカシャーは面積4862km2,人口510万6123(1971)の州を形成しており,東をペナイン山脈,西をアイリッシュ海にはさまれた地域で,北西部に湖水地方南部の山地を含んでいた。地形的には東部の石灰岩,石炭層からなるロッセンデール森などの丘陵と,西部から南部に横たわる砂岩のランカシャー平野に区分され,その間をマージー川,リブル川などが貫流する。一般には丘陵で牧羊,平野で酪農が卓越するが,大都市に近接した平野南部では野菜などの市場園芸が盛んである。

 アングロ・サクソン時代はノーサンブリア王国の一部であったが,10世紀にアイルランドからノルウェー人の侵入を受け,現在もスカンジナビア地名が多く残っている。ノルマン・コンクエスト(1066)時でもリブル川以北がヨークシャー,以南がチェシャーに編入されており,ランカシャーが地名として登場するのは12世紀中葉になってからである。しかしその後はランカスター,リバプールなどの自治都市が次々に誕生,1351年には特権州となった。中世には羊毛工業が行われていたが,17世紀に綿工業が導入された。産業革命期には紡績機械の発明,ランカシャー炭田の開発,港湾都市リバプールの発展などの地理的条件に恵まれて,〈世界の工場〉イギリスの綿工業の中心となり,短期間に多くの工業都市が出現し,人口も急激に増加した。運河の開削も進められ,1830年にはリバプール・マンチェスター鉄道も開業し,交通網も発達した。また,ジェニー紡績機のJ.ハーグリーブズ(ブラックバーンの織布工),水力紡績機のR.アークライト(プレストンの理髪師),ミュール紡績機のS.クロンプトン(ファーウッドの紡織工)らの発明家が輩出した。しかしマンチェスター周辺のボールトン,オールダム,ブラックバーンなどにおける綿工業は,第2次大戦後衰退して機械工業などへの転換が進み,工業の中心もリバプールを核に精油,食品,自動車,造船の諸工業が発展するマージーサイド工業地域へ移動しつつある。また海岸線が変化に富むため,ブラックプール,フリートウッドなどが海岸保養地となっている。1974年以後は北西部の飛地がカンブリア州に編入されたほか,南東部がグレーター・マンチェスター州,南西部がマージーサイド州として独立,残余の中部が新しいランカシャーになった。
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旺文社世界史事典 三訂版 「ランカシャー」の解説

ランカシャー
Lancashire

イギリス,イングランド北西部の県で,産業革命によって興隆した綿織物工業の中心地
中世を通じ,荒蕪地の多い辺境にとどまったが,封建支配がゆるいため,かえってヨーマン(独立自営農民)の成長が早まり,16〜17世紀には毛織物の農村工業が発達した。石炭に富み,水利に恵まれた地方であったため,綿織物業が活発になると,産業革命の主舞台となり,第一次世界大戦前には世界市場を征服した。

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世界大百科事典(旧版)内のランカシャーの言及

【イングランド】より

…(2)混合農業地帯 中世に二圃式・三圃式の共同耕地制が広範に普及していたミッドランズ地方やウェセックス丘陵などの中部漸移地帯は,現在でも小麦,大麦,エンバク,牧草の栽培と肉牛,豚の飼育による混合農業が盛んである。(3)酪農地帯 年降水量1000mm前後の西部湿潤地域を代表するのが酪農であり,ランカシャー・チェシャー平野,サマセット平野だけではなく,ミッドランズの丘陵部でもみられる。(4)放牧地帯 かつてケルト制度と呼ばれる粗放穀草式農業の地域であったペナイン山脈やコーンウォール半島では,湿潤な高原が永久草地として羊や肉牛の放牧に利用されている。…

【綿織物】より

…イギリスは伝統産業である毛織物業を保護するため,実効はあがらなかったものの,18世紀初頭までにインド綿布の輸入,使用を制限,禁止する法律(キャラコ禁止法)を制定せざるをえなかった。しかし産業革命期のイギリス工場制綿業は,ランカシャー綿布を登場させ,1820年ころインドへの逆流現象を生ぜしめた。以後,急激に増大した綿布流入によって,19世紀後半インドの在来綿業は広範な解体と再編をせまられた。…

※「ランカシャー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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