ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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… 時代区分についてみると,476年のいわゆる〈西ローマ帝国の滅亡〉とその後の東ゴート王国の成立,ユスティニアヌスのイタリア再征服(540)の時期までを古代として扱うのが普通である(〈テラマーレ文化〉〈エトルリア〉〈ローマ〉の項目を参照されたい)。 568年または569年に北イタリアに侵入したランゴバルド族は半島の多くの部分を支配した。彼らはアリウス派からカトリックに改宗し,固有の言語も失いローマ人の中に吸収されてしまうが,後の法慣習(相続法,刑法)に大きな影響を残した。…
…人種的構成は5世紀のゲルマン人の大移動のときに決まり,現在まで不変である。アルプスの南側に侵入し,最も早くローマ化したランゴバルド族はイタリア語を,スイスの西部地域に入ったブルグント族はフランス語を,ライン川を渡ってアーレ川の線まで進出したアレマン族Alemannenはローマ化をまったくせず,ドイツ語を話すようになった。ゲルマン人に追われてアルプス東部山中に踏みとどまったラエティア人はレト・ロマン語を保持しつづけた。…
…ゲルマン人の一部族であるランゴバルド族(ランゴバルト族)Langobardenが,568年に北イタリアのロンバルディア地方に侵入,建国した王国。その版図は最盛期には中部イタリアから南イタリアに及んだが,774年フランク王国のカール大帝の征服によって滅亡した。…
※「ランゴバルド族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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