ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ランゴバルド族」の意味・わかりやすい解説
ランゴバルド族
ランゴバルドぞく
Langobardi; Langobarden; Lombards
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ゲルマン人の一部族。ロンバルド族ともいう。紀元後5年の記録に登場する部族で,当時はエルベ川下流左岸に住んでいた。5世紀初めに南下を開始し,6世紀初めにはパンノニア(ほぼ現在のハンガリー共和国が占める地域)に進出,568年に北イタリアのロンバルディア地方に現れて,ランゴバルド王国を建設したことで知られる。王国はリウトプランド王(在位712-744),アイストゥルフ王(在位749-756)のときに全盛期を迎え,ビザンティン領ラベンナを併せ,ローマをも脅かしたが,774年カール大帝に敗れて滅びた。その後,9世紀に一時独立を果たすが,これも10世紀半ばに神聖ローマ皇帝オットー1世により滅ぼされた。
→ランゴバルド王国
執筆者:山本 徹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
… 時代区分についてみると,476年のいわゆる〈西ローマ帝国の滅亡〉とその後の東ゴート王国の成立,ユスティニアヌスのイタリア再征服(540)の時期までを古代として扱うのが普通である(〈テラマーレ文化〉〈エトルリア〉〈ローマ〉の項目を参照されたい)。 568年または569年に北イタリアに侵入したランゴバルド族は半島の多くの部分を支配した。彼らはアリウス派からカトリックに改宗し,固有の言語も失いローマ人の中に吸収されてしまうが,後の法慣習(相続法,刑法)に大きな影響を残した。…
…人種的構成は5世紀のゲルマン人の大移動のときに決まり,現在まで不変である。アルプスの南側に侵入し,最も早くローマ化したランゴバルド族はイタリア語を,スイスの西部地域に入ったブルグント族はフランス語を,ライン川を渡ってアーレ川の線まで進出したアレマン族Alemannenはローマ化をまったくせず,ドイツ語を話すようになった。ゲルマン人に追われてアルプス東部山中に踏みとどまったラエティア人はレト・ロマン語を保持しつづけた。…
…ゲルマン人の一部族であるランゴバルド族(ランゴバルト族)Langobardenが,568年に北イタリアのロンバルディア地方に侵入,建国した王国。その版図は最盛期には中部イタリアから南イタリアに及んだが,774年フランク王国のカール大帝の征服によって滅亡した。…
※「ランゴバルド族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新