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ランゴバルド Langobard

百科事典マイペディアの解説

ランゴバルド

ロンバルドとも。東ゲルマンの一部族。1世紀ころからしばしばローマと戦い,5世紀にはドナウ中流域から東ローマに移動,568年北イタリアに侵入して王国を建設。8世紀教皇を救援したフランク王国のピピン(小)と戦って敗れ,774年フランク王国に併合された。
→関連項目イタリアゲルマン人民族大移動ロンバルディア[州]

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大辞林 第三版の解説

ランゴバルド【Langobard】

東ゲルマンの一部族。エルベ川下流域から南下してハンガリー地方に移住。568年ロンバルディアに王国を建てイタリアを支配したが、774年にカール大帝に滅ぼされた。ロンバルド。

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世界大百科事典内のランゴバルドの言及

【ゲルマン人】より

…そのためシュタムの多くは,タキトゥス時代のキウィタスに比し,実力ある特定の王または王族,特に軍指揮者を中心とした政治的・軍事的統制力の強い部族集団という性格を帯びていた。こうして4世紀に入ると,ゲルマン人の全体は,大きく分けて東ゲルマン,西ゲルマン,北ゲルマンの三つの部族群に分類されることとなるが,中でも東ゲルマン群に属する諸部族,すなわち東ゴートOstgoten(Ostrogothae),西ゴートWestgoten(Visigothae),バンダルVandalen,ブルグントBurgunder,ランゴバルドLangobarden等のシュタムの中へは,現在のロシア南部,東方ステップ地帯にいた種々の異民族・異人種の要素が色濃く混入したため,そこではいち早く騎馬を重視し弓矢を重視する東方独特の兵制,装備,戦術がとりいれられ,さらに古い首長制の代りに,軍王的性格をもつ新しい王権の伸張をみた。やがて民族大移動期に展開する東ゲルマン諸部族のあの活発かつ遠距離への迅速な移動の可能性は,一つにはこうした歴史的背景があったせいである。…

【民族大移動】より

…その一つは,移動前,ゲルマニアの東部にいた東ゲルマン諸族,次はその西部にいた西ゲルマン諸族,そしていま一つは北方スカンジナビア半島やユトランド半島にいた北ゲルマン諸族である。東ゲルマンに属する部族としては,東ゴート,西ゴート,バンダルWandalen,ブルグントBurgunder,ランゴバルドLangobardenなどが数えられ,西ゲルマンでは,フランクFranken,ザクセンSachsen,フリーゼンFriesen,アラマンAlamannen,バイエルンBayern,チューリンガーThüringerなどが,また北ゲルマンでは,デーンDänen,スウェーデンSchweden(スベアSvear),ノルウェーNorwegerなどが挙げられる。このうち北ゲルマン諸族は,前2者よりやや遅れ,8世紀から11世紀にかけ,ノルマン人の名でイングランド,アイルランド,ノルマンディー,アイスランドならびに東方遠くキエフ・ロシアにまで移動し,それぞれの地に建国したため,通常これを第2の民族移動と称する。…

※「ランゴバルド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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