日本大百科全書(ニッポニカ) 「リビア革命」の意味・わかりやすい解説
リビア革命
りびあかくめい
リビアのカダフィ政権が1973年4月に着手した「外から輸入したイデオロギーを打破し、コーランの教えに基づいて社会を建設する」ことを目ざす総合的な革命をさす。1969年9月のクーデターで政権を握った「革命指導者」カダフィ大佐は、73年に『緑の書』によって「第三の普遍理論」と称する独特の革命理論を打ち出し、政治的腐敗分子の粛清、革命的大衆の武装化、腐敗官僚の打倒、共産主義・無神論・資本主義関係の書物の廃棄などを徹底して行うとともに、間接民主主義の否定、直接民主主義の制度化に着手した。カダフィによれば、間接民主主義はまやかしであり、代議制に基づく議会、政党ブロックなどはすべて人民を自主的な政治活動から疎外し、人民に権力行使の途を閉ざし、人民の主権を侵害する結果を生んでいる。そこで真の民主主義を確立するためにこの種の既存の制度を廃止し、これにかえて人民会議と人民委員会を両輪とした全人民による直接民主主義の制度が構築された。
この制度のもとで、人民は総計230余の基本人民会議に分かれて所属し、立法その他の決定に直接参加し、決定事項の執行は、基本人民会議が選出した書記局からなる人民委員会が担当する。後者は前者に対して責任を負い、前者は後者に対してそのとるべき政策を定め、その執行過程を監督する。こうしたメカニズムを県レベル、全国レベルでもつくりあげることによって、「人民が自らをコントロールする真の民主主義」(カダフィ)を実践したとしている。77年3月には国名をリビア・アラブ社会主義ジャマーヒーリーヤ(人民国)に変更、リビア革命は名実ともに深化の度を加えた。
[小田英郎]