翻訳|atheism
神の存在を否定する哲学的学説。有神論theismに対する。無神論という言葉はしばしば濫用されたが,汎神論,理神論,不可知論等と混同されてはならない。無神論は歴史的には多くの場合唯物論と結びついていた。古代における無神論の主要なものは,原子論的唯物論の立場に立つデモクリトス,エピクロス,ルクレティウスの思想である。ルネサンス以降,古代思想の復興に伴いさまざまな無神論的傾向が現れたが,無神論が古典的形態をとって現れ,宗教にたいして公然と宣戦したのは,18世紀半ばのフランスの唯物論者たちにおいてである。機械論的な自然哲学に立つラ・メトリーやドルバックは,感覚,思考,意志をすべて物質の作用に還元し,神の存在を否定した。エルベシウスは,道徳の基準を感覚的な快と苦から構成し,道徳に神の入り込む余地がないことを主張した。ディドロも無神論者であったが,彼は宗教批判よりも,機械論的唯物論を有機的力動的唯物論に高めようと努めた。この無神論は勃興するブルジョアジーの反アンシャン・レジーム闘争の武器であった。
19世紀に無神論は人間主義的無神論という新しい段階に達した。ヘーゲル左派の宗教批判は無神論的立場に達したが,そのなかで絶対的な新しさによって異彩を放っているのはL.A.フォイエルバハである。彼は神を人間の願望の対象化されたものとみて,〈神学の秘密は人間学である〉という見地から宗教と神学の変革を企てた。彼によれば,既成宗教は人間が自己についての十全な意識に達する過程の一段階である。宗教は人間にその本質を啓示するが,人間は自己の類的本質を神に投影することによって自己を疎外する。この疎外は人間からその本質を奪い,人間を否定する。だから,人間が自己の存在を実現するためには,疎外された類的本質を自己に奪回することが必要であり,神の否定こそが真の人間存在の実現の先決条件である,と彼は説いた。
フォイエルバハの宗教批判は,マルクスに宗教的疎外の観念を提供した。しかし,マルクスにとって,宗教的疎外は人間疎外の一側面にすぎない。彼は宗教的その他の疎外形態の基底に〈労働の疎外〉があることを見いだし,そこから史的唯物論を構築し,資本主義体制を根本的に批判した。人間の疎外からの回復は,階級を廃棄する共産主義革命によってのみ可能であり,宗教的疎外は〈労働する人間の実践的日常生活の諸条件が合理的関係になる〉ときおのずから消滅する。したがって,神と宗教だけを否定する闘いは無益である,と彼は考えた。共産主義は神の廃棄をめざすよりも,神を必要とする社会的条件の廃棄をめざすのである。マルクスは,(フォイエルバハを含めて)有神論に対立する無神論はすでに超克された思想であると考えたが,エンゲルスは,マルクス主義の普及に努める過程で,弁証法的唯物論という哲学体系をつくり,マルクスが批判した18世紀的無神論をマルクス主義に導き入れた。レーニンをはじめ,マルクス=レーニン主義の無神論はマルクスよりもエンゲルスによって鼓吹されている。そして,ロシア革命以来,その無神論は社会主義国家のイデオロギーの重要な柱となっている。
ニーチェは唯物論者ではないが,徹底した無神論者である。ニーチェの無神論は〈神は死んだ〉という命題に集約される。彼にとって〈神の死〉は取返しのつかない既成事実である。それにもかかわらず神が保証していた形而上学的・道徳的価値が生き残っているとして,彼は西欧文明の諸価値を激しく攻撃した。彼によれば,神の死んだ後の困難な課題は,神の死によって人間が直面したニヒリズムを克服する新しい価値を確立することである。それは人間にあらゆる救いを断念することを余儀なくさせるが,それに耐えうる人間こそ超人であり,超人のみがニヒリズムを克服しうる。ニーチェの無神論は後に通俗化されてナチスのイデオロギーを支えた。
サルトルに代表される実存主義的無神論は,神の死後人間を宗教的・道徳的次元に閉じこめておくことは不可能という信念をニーチェと共有しているが,ニヒリズムという人間存在にとってまったく新しい状況からの脱却に関しては彼と袂を分かつ。実存主義的無神論は,人間的実存の完全性を保つために,〈本質と実存〉の統一という,従来神が引き受けてきた思想を拒否する。〈もし神があるとしたら,どうして私が実存できよう〉とサルトルは書いている。彼によれば,神が存在しないときにのみ,人間は本質によってあらかじめ規定されないで実存しうるし,このような存在としてのみ人間は自由であり,責任がある。メルロー・ポンティもサルトルに近い立場をとった。サルトルは人間的実存の実現を政治参加(アンガージュマン)に求め,マルクスの思想に結びついていった。無神論は実存主義的無神論において最高の段落に達した。今日,無神論はたんなる宗教的無関心にとどまらず,能動的・戦闘的な思潮である。
→唯物論
執筆者:竹内 良知
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神が存在するということを否定する立場。ただし、そもそも「神」の定義は多様である以上、定義の選び方によってはどのような立場も無神論となり、またその逆もありえよう。実際、それぞれの文脈に応じてさまざまな主張が無神論とみなされてきた。
古くは、社会に広く認められている特定の宗教に反する立場がときに「無神論」として非難、排斥された。アナクサゴラス、ソクラテスがギリシアの神々を認めないという理由で裁判にかけられたのはその例であり、ローマの公認宗教に参加しないキリスト教徒がこうよばれたこともあった。やがてはキリスト教を否認する者が無神論の名で排斥、差別されることにもなった。
しかし今日では「無神論」は、このような否定的評価を含む語としてではなく、理論上の立場をさす語として使われる。その場合、無神論とは、「神」が有意味な語であることを認める場合には、神を人格的存在者であって、世界の創造者ないしはこれを支配する、非常に力ある者と解したうえで(このような表現が字義どおりに解されるにせよ、類比的に解されるにせよ)、そのような者は存在しないとする立場、また「神」は無意味または意味の不明確な語であるとする場合には、これを理由として「神が存在する」という主張を否定する立場のことである。
無神論の主張は、神という観念の起源を神なしに説明することによってなされることもあるが、主たる論拠は、世界の存在は神なしに説明できること、および、神を仮定すると世界の状態が整合的に説明できないことに求められる。前者としては世界をただ物質のみから説明する唯物論があり、自然科学の発達に伴って有力な傾向となった。現代におけるマルクス主義と一部の実存主義の無神論にもこの傾向がある。また後者としては悪の存在からの議論がある。
[清水哲郎]
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…17世紀にいちはやく市民革命をなしとげたイギリスは,当然啓蒙思想の口火を切るという栄誉をになうが,ここでは,その内容はおおむね穏健であり,認識論においては経験論,宗教に関しては理神論といった考えが大勢を占める。一方,市民階層の形成におくれをとったフランスにあっては,フランス革命を頂点とする18世紀が啓蒙思想の開花期となるが,ここでは,先進のイギリス思想に多くを学びながら,啓蒙思想はすくなくとも一翼において,唯物論,無神論などといったより徹底した過激な形態を示す。領邦の分立,大土地所有貴族の強固な支配権の残存などのために,英仏両国にたいしてさらに市民社会の形成におくれをとったドイツは,フリードリヒ大王のいわゆる〈上からの啓蒙〉という変則的な形で近代国家の形成に向かわなければならなかった。…
※「無神論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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