日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルペン」の意味・わかりやすい解説
ルペン
るぺん
Marine Le Pen
(1968― )
フランスの政治家。正式な名前はマリオン・アンヌ・ペリーヌ・ルペンMarion Anne Perrine Le Pen。極右政治家で国民戦線(FN)党首のジャン・マリ・ルペンJean-Marie Le Pen(1928― )とその最初の妻の間の三女として生まれる。18歳でFN党員となり、政治活動を始めた後、パリ第二大学で法学を修め、1992年に弁護士資格を獲得。1993年の下院選挙に初出馬するも落選。FNの司法部門の責任者を務めつつ、1998年に北部のノール・パ・ド・カレー地域圏議会議員に当選して政治家人生を歩み始めた。なお、マリーヌ自身、FN党幹部と2回の結婚と離婚を経験しており、3人の子供の母親でもある。
2002年の大統領選で父ジャン・マリが決選投票に進出した際、テレビの討論番組に出演し、全国的に名が知られるようになった。それ以降、清新なイメージと歯切れのよい弁舌でメディア露出が増えていった。同年から国政進出を試みるものの2007年、2012年と2回の下院選で落選。2004年のヨーロッパ議会(欧州議会)選挙が最初の当選となる。
2011年にFNの代表に選ばれ、それまでの極右政党としてのイメージを脱してソフト路線を歩むようになってから、マリーヌへの有権者からの支持は急速に拡大していった。父親のような人種差別主義や親ファシズム路線を封印して、反グローバリズムや反EU(ヨーロッパ連合)を旗印に掲げ、同党は選挙でも着実に地歩を固めていった。2012年の大統領選でマリーヌ・ルペンは保革二大政党の候補者に次いで17.9%の票を獲得。さらに2014年の欧州議会選では、FNが24.9%の得票をもって第一党となり、翌2015年の地方選でも第一回投票でFNは得票率では首位となった。
2017年の大統領選では、マリーヌがそれまで支持率のトップを走っていたことから決戦投票への進出が確実視されていたが、決戦投票では保革の既成政党から中道までの票を集めた独立系候補エマニュエル・マクロンに敗北した。もっとも、直後の下院選で初めて国会議員となり、FNは彼女を含めて下院で8議席を有する勢力となった。それでも期待されたほどの得票に結びつかなかったことでFNは内紛にみまわれたが、依然として既成政党に対する不信の強いフランスで、マリーヌと彼女率いるFNが躍進する余地は今後も残っている。
[吉田 徹 2018年7月20日]
『マリーヌ・ルペン著『自由なフランスを取りもどす』(2017・花伝社)』