ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルートウィヒ4世」の意味・わかりやすい解説
ルートウィヒ4世[バイエルン公]
ルートウィヒよんせい[バイエルンこう]
Ludwig IV, der Bayer
[没]1347.10.11. ミュンヘン近郊
バイエルン公 (在位 1294~1347) ,ドイツ王,神聖ローマ皇帝 (在位 14~47) 。ウィッテルスバハ家出身の唯一の皇帝。兄ルドルフとバイエルン領有を争い,1310年領地分割により決着。 14年皇帝に選出されたが,対立国王ハプスブルク家のフリードリヒ3世 (美王)の挑戦を受け,14~22年これを打ち破った。さらにアビニョンの教皇庁も彼の帝位を否定し,破門を宣言したので,27~30年イタリアに出兵して教皇勢力と戦い,27年にはローマ民衆代表の参集下に,神聖ローマ帝冠を受けた。これを機会に選帝侯たちは,皇帝選出に際しての教皇介入権を認めないことを決議した (38) 。晩年にはブランデンブルク,チロル,ホラント,エノーなどを家領に加えたが,その強引な所領拡大政策は諸侯の反感を招き,46年には対立国王としてルクセンブルク家のカルル4世が立てられた。
ルートウィヒ4世(幼童王)
ルートウィヒよんせい[ようどうおう]
Ludwig IV, das Kind
[没]911.9.24.
最後の東フランク王 (在位 900~911) 。ケルンテンのアルヌルフの子。父の死後即位したが,幼少のため,マインツ大司教ハットー1世,コンスタンツ司教サロモが実権をふるい,マジャール人の侵入を防げずカロリング朝東フランク王国は絶えた。
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