ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レバノン内戦」の意味・わかりやすい解説
レバノン内戦
レバノンないせん
Lebanese Civil War
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…そこでは,ムスリム,ユダヤ教徒,キリスト教徒が共存する単一の民主的・非宗派的パレスティナ社会の建設が目標とされ,イスラエル市民をも巻き込む新しいパレスティナ人の形成が目ざされるようになった。中東戦争ならびにアラブ諸国・イスラエル間の和平の枠組みを維持すべく戦われた73年の第4次中東戦争(十月戦争,ヨーム・キップール戦争)をはさんで,アラブ諸国も,上のような民族的主体性を発展させつつあったパレスティナ人の運動に対して,抑圧(たとえば1970年のヨルダンの黒い九月事件,75年以降のレバノン内戦)と対応(たとえばPLOをパレスティナ人の唯一の正統の代表機関と認めた1974年のラバトでのアラブ首脳会議)との間を揺れ動いた。また,パレスティナ人の民族的自決権,帰郷または補償を受ける権利の承認こそ中東の平和の前提条件であるべきだ,という認識と,これに沿って中東和平問題の過程にPLOを参加させるべきだという要求とが,国際的に広く受け入れられるようになった。…
…その混迷は,数次にわたるパレスティナ難民の流入,とくに1970年代,ヨルダン王制のパレスティナ人弾圧(黒い九月事件)以降の大量流入でいっそう深まった。パレスティナ勢力が南レバノンで大きな軍事的勢力となると,1975‐76年には,キリスト教徒諸勢力とイスラム教徒(レバノン人とパレスティナ人)諸勢力が入り乱れるレバノン内戦に発展し,首都ベイルートは東(キリスト教徒地区)と西(イスラム教徒地区)に分断された。キリスト教徒勢力はシリアの軍事介入を要請し,以後シリア軍がレバノンに駐留することとなった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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