スペインのファシズム政党。のちにフランコ政権の国家政党となった。独裁者ミゲル・プリモ・デ・リベラ将軍の息子ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラが1933年に創立した。当初の党員はホセ・アントニオの個人的協力者や学生が多かったが、翌年、レデスマの率いる国民サンジカリスト攻撃団と合同し、若干の大衆的基礎をもった。人民戦線と争った1936年の選挙では右派ブロックから排除され敗退、その後、左翼勢力へのテロリズムを強化し非合法とされたが、右派勢力を糾合して党員は激増した。軍部の反乱計画に加担し、同年7月スペイン内戦が勃発(ぼっぱつ)すると、反乱派義勇軍の一つの要(かなめ)をなした。この間、エディーリャManuel Hedilla(1902―70)が指導者となった(ホセ・アントニオは同年11月に処刑)が、翌年4月の政党統一令によって、フランコを党首とする反乱派の単一政党とされた。新旧党員間の内部対立を抱えながら、内戦終了後もフランコ政権の唯一の公認政党となり、大衆動員、思想動員の役割を担った。その後、1958年に「国民運動」と改称、1975年のフランコ死去後の民主化によって1977年に消滅した。
[深澤安博]
『S・G・ペイン著、小箕俊介訳『ファランヘ党――スペイン・ファシズムの歴史』(1982・れんが書房新社)』
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