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ロシア建築 ロシアけんちくRussian architecture

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ロシア建築
ロシアけんちく
Russian architecture

ロシア建築は,ビザンチン建築の一分派として始り,11世紀から 16世紀までのギリシア正教の聖堂建築は,十字形平面に5つのドームをかけるのを特色としている。中央奥のアプスのほかに多くの副アプスを備えたもの,外観を装飾彫刻で飾ったものが多いのが,他の地域と異なる特色である。ルネサンス建築の導入は,イワン3世 (在位 1462~1505) の時代にイタリア人建築家によって行われ,A.ノーブイ設計のクレムリンの大天使ミカエル聖堂 (05~09) がその例である。しかし 16世紀には土着の木造建築の伝統をふまえた民族様式も現れ,モスクワワシーリー・ブラジェンヌイ大聖堂 (55~60) はその代表作である。バロック建築の影響を示すものには,モスクワ近郊フィリーにあるポクローフ聖堂 (1693) ,メンシコフの塔 (1704~07) がある。ピョートル1世 (在位 1682~1725) の進歩的政策により,多くのヨーロッパ人建築家がロシアに招かれ,サンクトペテルブルグの建設に寄与したが,そのなかで B.ラストレッリの夏の宮殿 (47~52) ,ツァールスコエ・セロ皇帝村 (現プーシキン) のエカテリーナ宮殿 (52~57) ,冬の宮殿 (54~62,現エルミタージュ美術館 ) が著名である。新古典主義時代もヨーロッパ人建築家の活動が目立つが,ようやくロシア人建築家が現れ,I.スターロフ (43~1808) がサンクトペテルブルグのタウリダ宮殿 (1783~88) で名声をあげた。パラディオ様式やアダム様式も流行したが,A.ザハロフのサンクトペテルブルグの海軍省 (1806~15) が大作である。 19世紀で目立つのは,古代ロシア様式のリバイバルで,モスクワの国立歴史博物館 (74) がその好例である。ロシア革命の直後,1920年代に E.リシツキー (90~1941) や V.タトリン (1885~1953) が,西欧の近代運動に刺激されて構成主義を唱え,抽象表現主義建築を試みた。タトリンの「第3インターナショナル記念塔」 (19~20) はその代表作である。しかしソビエトの新建築運動もスターリンの登場とともに弾圧され,1932年以降は誇張された新古典主義建築がソビエトの公式建築となった。モスクワ地下鉄駅 (1930~50年代) ,モスクワ国立大学 (L.ルドネフ,49~53) ,などがその代表的なもので,社会主義リアリズムによる復古現象として注目された。しかし,53年にスターリン時代が終ると,再び西欧化の傾向が顕著になり,アメリカおよびヨーロッパの近代建築様式に急速に接近しつつある。モスクワのボロジノ戦闘パノラマ館 (58~62) ,ピオネール館 (58~62) ,クリミアのアルテク・ピオネール・キャンプなどはその好例である。

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