リシツキー(読み)りしつきー(英語表記)Лазарь Маркович Лисицкий/Lazar' Markovich Lisitukiy

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リシツキー」の意味・わかりやすい解説

リシツキー
Lissitzky, El

[生]1890.11.10. スモレンスク
[没]1941.12.30. モスクワ
ソ連画家,デザイナー,建築家。本名 Lazar Markovich Lissitzky。ユダヤ人であったためモスクワ美術学校入学を断られ,ドイツのダルムシュタット工科大学で建築を学ぶ。 1919年モスクワに戻りマレービッチシュプレマティスムの影響を受け,抽象画を描く。革命後の 21年にモスクワ国立美術学校の教授となったが,同年末ソビエト政府が抽象芸術を排除したため,ドイツを経てスイス移住。 24年アメリカで展覧会を開き,25~28年ハノーバーで活躍,28年末にはモスクワで作品を発表した。幾何学的形態の構成による表現豊かな作風は,ヨーロッパの抽象美術に影響を与え,グラフィック・デザイン,タイポグラフィフォトモンタージュや建築の分野でも多くの業績を残した。西ヨーロッパの芸術家との交流が多く,構成主義を広めた功績も大きい。主要作品『プロウン』 (1924~25) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リシツキー」の意味・わかりやすい解説

リシツキー
りしつきー
Лазарь Маркович Лисицкий/Lazar' Markovich Lisitukiy
(1890―1941)

ソ連の画家、建築家。雅号はエリリシツキーЭль Лисицкий/El' Lisitskiy。スモレンスク州ボチノク村生まれ。1909~14年ドイツのダルムシュタット工科大学に学び、革命後は一時シャガールが校長を務めたビテブスクの美術学校で教えたこともある。21~25年ドイツおよびスイスに滞在、オランダの「デ・ステイル」グループのメンバーとなった。20年代にはシュプレマティズムの影響の下、一連の宣伝ポスターを制作した。建築の分野でも活躍し、数々の実験的な設計図を発表したほか、紡績会館(1925)、プラウダ新聞社のコンビナート(1930)などの作品が有名。また書籍の挿絵装丁、フォトモンタージュなど幅広い活躍を行い、モスクワに没。しかし、第二次世界大戦後の雪どけが訪れるまで、その仕事は正当に評価されず、近年ようやく本格的な研究が始まったところである。

木村 浩]

『阿部公正訳『エル・リシツキー――革命と建築』(1983・彰国社)』

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