イギリスの実業家、富豪。ロシア人を父、ギリシア人を母としてトルコに生まれる。イスタンブールで貿易商を営む伯父について実務修得ののち、1877年イギリス・スウェーデン合弁の兵器会社ノルデンフェルトのアテネ駐在員となった。彼は当時のバルカン諸国の緊張関係を巧みに利用し、たとえば、新たに登場した潜水艦を敵対関係にあるギリシアとトルコの双方に販売するなど、その相手かまわぬ商法で一躍有名になった。ついでイギリスの発明家ハイラム・マキシムの発明になる機関銃に着目した彼は、その製造企業を合併してマキシム・ノルデンフェルト社を創設。さらにこれをイギリス最大の兵器会社ビッカースに吸収させるとともに、自ら重役として経営に参加し、第一次世界大戦期の軍備拡張競争に乗じた兵器売り込みで敏腕を振るった。1901年には軍艦装甲板製造に関する特許利益をプールする目的でハーベイ合同製鋼会社が設立されたが、イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、イタリアの各国企業を網羅したこの国際兵器トラスト創設の背後には、彼の活躍があったとされている。第一次大戦後には大ギリシア王国の建設を夢み、ギリシア・トルコ戦争を画策し、ロイド・ジョージとクレマンソーを動かそうとしたが失敗した。これを機に兵器産業より引退、晩年をモンテ・カルロの賭博(とばく)場の所有者として過ごし、同地で死去した。イギリスではナイトに叙せられ、フランスではレジオン・ドヌール勲章を授けられたが、反面、戦争が始まると敵味方双方に武器を売るというやり方のゆえに、いわゆる「死の商人」の筆頭に数えられている。
[小林袈裟治]
『岡倉古志郎著『死の商人』改訂版(1962・岩波新書)』▽『D・マコーミック著、阿部知二訳『死の商人ザハロフ』(『現代世界ノンフィクション全集6』所収・1967・筑摩書房)』
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