社会主義リアリズム(読み)しゃかいしゅぎりありずむ(英語表記)социалистический реализм/sotsialisticheskiy realizm

日本大百科全書(ニッポニカ) 「社会主義リアリズム」の意味・わかりやすい解説

社会主義リアリズム
しゃかいしゅぎりありずむ
социалистический реализм/sotsialisticheskiy realizm

芸術創作方法の一つ。1932年から旧ソ連で提唱され、34年、当時のソビエト作家同盟規約で、「ソビエトの芸術文学ならびに文学批評の基本的方法」と規定された。その内容は、現実をその革命的発展において正しく歴史的、具体的に描き出すこと、勤労人民を社会主義に向かって思想的に改造し、教育するという課題に芸術創造を結び付けること、の2点に要約される。その実現のために作家は、国民の生活と伝統に深く分け入り、そのなかの古いものに対する新しいものの勝利を描き、その勝利を実現する新しいヒーローの創造が要求される。また、このリアリズムは、現在の社会に未来社会に至る歴史的必然性をみるという立場から、革命的ロマンチシズムを包含しうると主張された。この方法への道を初めて開いたのはゴーリキーの小説『母』(1907)とされ、ファデーエフの『壊滅』(1927)、オストロフスキーの『鋼鉄はいかに鍛えられたか』(1932~34)もこの立場にたつ作品とされた。

栗原幸夫

文学

社会主義リアリズムの提唱は、作家に高度の共産主義的世界観や政治的イデオロギーを要求する従来の唯物弁証法的創作方法や、セクト主義的なラップ(ロシア・プロレタリア作家協会)に対する批判と結び付いていたために、芸術創造の自立性を擁護する理論として、同時代の多くの作家に歓迎された。当時はソ連以外の国の進歩的な文学運動にも大きな影響を与え、フランスのバルビュスアラゴン、ドイツのゼーガースチェコスロバキアのフチークらの活躍を促した。とくに当時政治運動が人民戦線戦術に転換してゆくなかで、社会主義リアリズムのスローガンは政治的立場の違いを超えて多くの作家を反ファシズム文化擁護の運動に結集する役割を果たし、プロレタリア文学という呼び名は、これ以後急速に姿を消していった。しかし、このような政治的な役割を別にすれば、社会主義リアリズムはかならずしも理論的に体系化されず、現実には前衛芸術に対する極端な否定と古典的なリアリズムへの復帰が顕著にみられ、さらにスターリン指導下のソビエト政権への無条件的支持・服従が作家の第一義的な資格とされた。

 社会主義リアリズムの理論は、日本にも1933年(昭和8)ごろから紹介され始め、弾圧によって崩壊に瀕(ひん)していたプロレタリア文学運動に決定的な影響を与えた。それは従来の「政治の優位性」の理論のかわりに、「現実をありのままに描く」という世界観無用論を台頭させる契機になった。日本プロレタリア作家同盟が34年に解散したあと、森山啓(もりやまけい)、久保栄(くぼさかえ)らによって、いわゆる「社会主義リアリズム論争」が行われ、芸術運動再建の方向性、日本に社会主義リアリズムのスローガンを適用することの可否、さらには世界観と創作方法との関係をめぐって議論された。第二次世界大戦後、社会主義リアリズムはますますスターリン個人崇拝の色彩を強くしたが、ソ連共産党第20回大会(1956)に始まるスターリン批判以後、急速にその影響力を失っていった。

[栗原幸夫]

美術

当時の美術界ではこの理論を保守派の画家・批評家たちが低次元で受け止め、ブロツキー、ゲラシモフ、エファーノフ、ピメノフЮрий Иванович Пименов/Yuriy Ivanovich Pimenov(1903―77)らが描いた党指導者の肖像、革命史をテーマにしたリアリズム作品だけを過大評価した。このため20世紀初頭にまたがるモダニズム美術や、1910年前後に誕生し、1920年代を席巻(せっけん)したアバンギャルド美術は批判攻撃され、ソビエトおよびロシア美術は長い不毛の時期を迎えた。

[木村 浩]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「社会主義リアリズム」の意味・わかりやすい解説

社会主義リアリズム[美術]
しゃかいしゅぎリアリズム[びじゅつ]
Socialist Realism

ソビエト連邦で成立発展した美術,文芸の原理。美術では 1922年「革命ロシア美術協会」の結成後,しだいに明確なかたちをとり,1932年ヨシフ・V.スターリンによって定義された。すなわち,現実生活とその革命的発展を歴史的な実際に即して忠実に描写すること,それによって,社会主義精神における労働者大衆の教育を達成すべきことの 2点である。弁証法的唯物論により,現在のうちに未来の発展が暗示されることが必要であり,写真的リアリズムは排されるが,現実に忠実である必要から,個人的様式化,抽象化,主観的感情表現は否定される。芸術研究は,客観的内容と階級闘争過程の分析に限定される。この教義の確立によって,それまでソ連において,世界にさきがけて発展していた前衛的抽象美術,カジミール・S.マレービッチシュプレマティスム,ウラジーミル・E.タトリンらによる構成主義,マルク・シャガールの幻想的美術はまったく否定され,多くの芸術家が外国へ流出した。国家や革命の英雄をたたえることに奉仕する美術は,イリヤ・E.レーピン移動展派などの伝統的ロシア・リアリズムに,大衆教育的機能を結合したものといえ,近代ヨーロッパ美術の革新的傾向と鋭く対立した。代表的画家はアレクサンドル・ゲラーシモフ,ボリス・V.ヨガンソン,漫画家グループのククルイニクスイ,彫刻家には ベーラ・ムヒーナ,ザイル・アズグールら。

社会主義リアリズム[文学]
しゃかいしゅぎリアリズム[ぶんがく]

ソ連で 1930年代の初めに成立したとされる文学,芸術創作方法の原理。初めてこの術語が用いられたのは 32年5月 23日付の『文学新聞』紙上であり,以来ソ連の文学,芸術を支配する唯一の原理となった。もっともその内容はきわめて不鮮明であり,「形式においては民族的であり,内容においては社会主義的である」といった規定が行われてきた。そのためソ連ではこの原理をめぐってあくことない論議が繰返されてきた。なかには I.エレンブルグのように「世界観として社会主義を奉じる作家がリアリズムの方法で創作すること」といった割切り方まであった。この術語はスターリン時代と密接に結びついていたので,スターリン批判後にこの術語をめぐってある種の変化が期待されたが,現在のところ公式的に否定されるきざしはみえない。 M.ショーロホフのような作家までこの術語に対しては懐疑的であるが,これは一党独裁のソ連的体制が文学,芸術を支配していることと無関係ではない。特に党が個々の作品を批判する場合に,「社会主義リアリズムとは無縁の作品である」という言い方をすることからみても,それは明らかである。日本でも,第2次世界大戦前のプロレタリア文学の時代,また戦後の民主文学運動のなかでこの術語が喧伝されたが,ほとんど成果はなかった。

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