ロドス島(読み)ロドストウ(その他表記)Nísos Ródhos

デジタル大辞泉 「ロドス島」の意味・読み・例文・類語

ロドス‐とう〔‐タウ〕【ロドス島】

RodosΡόδος》⇒ロードス島

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロドス島」の意味・わかりやすい解説

ロドス島
ロドスとう
Nísos Ródhos

古代ギリシア語ではロドス Rodos。ギリシア,エーゲ海南東部,ドデカニソス諸島最大の島。エーゲ海の南東を限り,トルコの南西岸沖に位置する。北東-南西方向に延びる細長い島で,中央部を島の方向に沿って山地・丘陵地帯が連なる。最高峰アタビロス山 (1215m) 。北東端に中心都市ロドスがある。クレタ (ミノア) 文明期にはクレタ島の勢力下にあったと思われるが,のち後期青銅器文化をもつ強力な独立王国となった。前 1100~1000年頃おもにアルゴス方面のドーリス人が侵入,リンドスカミロスなどの都市を建設,地中海各地と交易し,繁栄。古典期にはアテネスパルタペルシアなどの強国の影響下におかれたが,彫刻,絵画,雄弁術などの中心地として発展。ヘレニズム時代には地中海貿易,ヘレニズム文化の中心地として栄えた。その後ローマの小アジア進出に伴って衰退。 1309年ヨハネ騎士修道会に支配され,全島が堅固な要塞と化し,ほぼ2世紀にわたってオスマン帝国が支配する西地中海のヨーロッパ側橋頭堡であり続けた。 1522年オスマン帝国軍との壮絶な籠城戦ののち降伏,その後 1912年イタリアに占領されるまでオスマン帝国領。 47年ギリシア領。現在,赤ワイン穀類イチジクザクロオレンジなどを産するが,経済主柱観光業で,クレタ島やアテネと並んで,年間を通して多数観光客が訪れる。面積 1398km2。人口8万 7831 (1981) 。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ロドス島」の解説

ロドス島(ロドスとう)
Rhodos

アナトリア西南端に近い島。前1000年頃ドーリア人が占領し,リンドス,カミロス,イアリュソスの3市を建てた。3市は,前6世紀僭主(せんしゅ)政治のもとで発展し,一時ペルシアの支配に服したのちデロス同盟に加入,前5世紀末に合併し政治,宗教,商業の中心として東北端にロドス市を建設した。その後,ローマ,聖ヨハネ騎士団オスマン帝国などの支配ののち1948年ギリシアに復帰した。

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