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ロヒルカンド Rohilkand

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ロヒルカンド
Rohilkand

北インド,ウッタルプラデーシュ州の北西部の地域名。アウラングゼーブ (在位 1658~1707) の死後,アフガン系のロヒラ族が統治していたが,1774年ロヒラ戦争によりラーンプル一帯を残し,他の全域がアワドに併合された。 1801年アワドの太守 (→ナワーブ ) がロヒルカンド全域をイギリス東インド会社に割譲したため,ラーンプル侯は藩王となった。

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世界大百科事典 第2版の解説

ロヒルカンド【Rohilkhand】

インド北部,ウッタル・プラデーシュ州北西部の地方名。北はヒマラヤ山脈最前山のシワリク丘陵,西はガンガー(ガンジス)川,東はアウド地方との境界にあたるほぼ東経80゜線付近によって囲まれた三角地帯をいう。ガンガー川支流のラーマガンガー川水系の流域平野にあたる。北部ほど湿潤で,最北部はかつてはタライの森林帯が東西に延びトラ,ゾウなどの生息地であったが,20世紀になって開拓が進行した。西部は動力揚水式管井戸,中・東部は用水路をもとに灌漑農業が発達し,小麦,米,サトウキビなどの産が多い。

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世界大百科事典内のロヒルカンドの言及

【バレーリー】より

…今日の町は,ムガル朝時代の1657年,藩主マクランド・ライによりその基礎が築かれ,当時のとりでが今に残る。17世紀初頭にアフガニスタン方面から進出したロヒラ族が支配の拠点を築いたので,そのロヒラ族の地方(ロヒルカンド)の中心都市となった。1801年,東インド会社領に編入され,57年の第1回反英独立戦争(インド大反乱,セポイの反乱)では一拠点ともなった。…

※「ロヒルカンド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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