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ロレンツォ・デ・メディチ

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デジタル大辞泉プラスの解説

ロレンツォ・デ・メディチ

ドイツの筆記具ブランドモンブラン万年筆の商品名。「パトロンシリーズ」。15世紀後半のメディチ家当主、ロレンツォ・デ・メディチイメージ

出典|小学館
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ロレンツォ・デ・メディチ
ろれんつぉでめでぃち
Lorenzo de' Medici
(1449―1492)

イタリアの政治家、詩人。フィレンツェ共和国の実質上の君主であり、15世紀後半におけるイタリア半島の政治情勢の要(かなめ)に位置する人物であったが、同時に、プルチやポリツィアーノ、ピーコら学者や芸術家たちの寛大な保護者であり、彼らと親しく交わりながら多岐にわたる影響を受けて、自らも数多くの詩編を書いた。その作品群は形式も内容もきわめて多様であり、制作年もさだかではないが、初期の代表作としては、民衆の粗野なことばを用いた詩編『バルベリーノ村のネンチャ』があり、中期の代表作としては、ダンテの『新生』に倣い、かつM・フィチーノのネオプラトニズモの影響下に書かれた詩文混淆(こんこう)体の作品『コメント』がある。また、後期の代表作としては、神話の要素を豊富に盛り込んだ牧歌作品『コリント』や『アンブラ』や『愛の森』があげられる。作品の多様性ゆえに批評家たちからしばしば「ディレッタント」の烙印(らくいん)を押され、真の芸術性の欠如を指摘されてきたが、その作品群は、15世紀後半の宮廷社会で栄えた人文主義のありようを伝えるとともに、一君主の文化政策の一端をもかいまみせてくれるものといえるであろう。[鷲平京子]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内のロレンツォ・デ・メディチの言及

【フィレンツェ】より

…イタリア中部,トスカナ州の州都。英語,フランス語ではFlorence(フローレンス,フローランス)。人口39万2800(1994)。かつてルネサンス文化の中心であり,今日でも旧市街は〈都市博物館〉といわれるほど多くの記念物がある。
[ローマ都市からの発展]
 ローマの植民都市としてアルノ川の渡河点に建設され,ローマと北イタリアとの関係が密接になった前1世紀には重要な都市となった。ほかの都市と同様に初期中世の混乱期に都市の規模は収縮したが,ランゴバルド時代,フランク時代にも地方行政の中心としての機能を保持していた。…

【プルチ】より

…フィレンツェの没落貴族の家に生まれ,経済的事情から満足な人文主義的教育を受けなかった。1461年メディチ家の宮廷サロンに加わり,年若いロレンツォ・デ・メディチの親友となった。そのロレンツォが家督を継いでフィレンツェの実質的な君主の地位につくと,幾度か外交使節を務めたりもした。…

【メディチ】より

…メディチ家の全盛期を築き,フィレンツェ共和国のイタリア半島における地位を高めた人物,またルネサンス文化・芸術の保護者。祖父コジモ,父ピエロが一介の市民の立場を超えるのを厳しく自重したのと違い,ロレンツォは将来共和国の指導者となるのを自明のこととして,幼時よりそのための教育を受けた。事実,年少より政治的行事への参加を許され,諸王侯とも対等に交際した。そして父の死に際して,有力者たちの推挙を受け国の指導的地位に就くことを引き受ける(1469)。…

※「ロレンツォ・デ・メディチ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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