ロンノル(読み)ろんのる

世界大百科事典(旧版)内のロンノルの言及

【インドシナ戦争】より

…こうして69年1月以降,アメリカ,南・北両政府,解放戦線の4者会議がパリで開催される一方,7月にはニクソン新大統領が米軍撤退,南ベトナム軍の強化を骨子とするグアム・ドクトリンを発表し,翌70年より本格撤兵を開始した。しかし米軍は同時に南ベトナム政府軍の後方安定のために,70年3月18日カンボジアのロンノルLon Nol首相に反シアヌーク・クーデタを起こさせ,親米的なクメール共和国を成立させた。ただちにアメリカ・南ベトナム軍はカンボジア領に入って解放軍の掃討作戦を展開し,一方,追われたシアヌークは左派勢力クメール・ルージュと連合してカンプチア統一戦線を結成し,各地でゲリラ活動に入った。…

【カンボジア】より

… 立国の2本の柱(中立政策とサンクム)は,中国寄りの紅色中立政策と急進的なサンクムの自力更生策に変わり,この舵取りをめぐってサンクム内部の左右両派の論争と確執が表面化した。右派のロンノル政権は70年3月にシアヌーク元首を解任し,アメリカ,南ベトナムと手を握った。一方,シアヌークとクメール・ルージュを中心にカンボジア(カンプチア)民族統一戦線が北京で結成された。…

※「ロンノル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」