ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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古代ローマで行われた暦。その形式は現代のグレゴリオ暦に取り入れられている。紀元前8世紀ごろ(ロムルス王の時代という)のローマの暦は、30日または31日からなる月を10か月で1年とし、304日であり、太陰暦とも太陽暦とも区別のつかない暦であった。その後、ヌマ王の時代に第11月(29日)と第12月(28日)を加えるとともに、30日であった月の日数を29日に改め、1年355日とした。そして暦を季節にあわせるために、2年ごとに22日または23日の閏(うるう)月(メルケドニウスとよぶ)を、第12月の途中、23日の次に挿入した。このような複雑な方法をとったのは、ローマ暦では毎月1日をカレンデとよび、一方、第12月の23日がテルミナリアという祭日にあたり、第12月14日以降22日までを「テルミナ前幾日」と数え、24日以降は「マルチウス(第1月の名)のカレンデ前幾日」と数える習慣があり、24日以後の5日間は翌年に属するという感じをもっていたためである。ローマ暦は、その形式がユリウス暦に、ついでグレゴリオ暦にも継承された。
[渡辺敏夫]
…G.J.カエサルがエジプトを征服したころはローマでは太陰太陽暦が用いられていた。このローマ暦は平年を355日,閏(うるう)年を377日,または378日として,22日または23日の閏日をフェブルアリウス月(現在の2月)の22日と23日の間に挿入した。現在でも閏年の余分の1日を2月に入れるのはローマ暦の習慣のなごりである。…
※「ローマ暦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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