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暦の1ヵ月の日数が朔望月(さくぼうげつ)を基礎として決められ,1年の長さはある期間について平均すれば1太陽年になるようにくふうされた暦。太陰とは空にある月のこと。1朔望月は29日半あまりで,その12ヵ月は354日にしかならず1太陽年に11日ほど及ばない。したがって3年では33日も日付と季節がずれてしまう。そこで2年か3年に一度,ある月を2ヵ月おいて1年を13ヵ月にして,季節と日付の食違いを1ヵ月以内にとどめようとするのが太陰太陽暦である。余分に挿入される月を閏(うるう)月といい,19年に7回の閏月をおくとぐあいがよいのでこの19年のことを1章といった。日本では1873年(明治6)に太陽暦が採用されたが,それ以前に使用されていた暦はすべて太陰太陽暦であり,俗に陰暦とか旧暦と呼ばれている。古代のギリシア暦,バビロニア暦,ユダヤ暦,中国暦など太陰太陽暦は多用されたが,閏月が入るか入らないかで1年の日数に30日も差があったり,多くの欠点があるので現在太陰太陽暦を正式に用いている国はない。
執筆者:内田 正男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
月の満ち欠けする周期の朔望(さくぼう)月で日を数え、太陽の運行による周期太陽年(回帰年)をもって季節を調節してゆく暦法。略して陰陽暦、陰暦ともいう。朔望月と太陽年の端数をどのようにうまく調節してゆくか、すなわちどのように閏(うるう)月を挿入するかによって種々の太陰太陽暦法が生ずる。この暦法に属するおもなものとして、バビロニア暦、ギリシア暦、ユダヤ暦、インド暦、中国暦(大衍(たいえん)暦)などが知られている。日本で1872年(明治5)以前まで行われてきた暦法は、中国暦またはそれに倣った中国流の太陰太陽暦で、73年から採用した太陽暦を新暦というに対して旧暦(陰暦)という。陰暦1月から12月まで次のような異称がある。睦月(むつき)(陰暦1月)、如月(きさらぎ)(同2月)、弥生(やよい)(同3月)、卯月(うづき)(同4月)、五月(さつき)(同5月)、水無月(みなづき)(同6月)、文月(ふみづき)(同7月)、葉月(はづき)(同8月)、長月(ながつき)(同9月)、神無月(かんなづき)(同10月)、霜月(しもつき)(同11月)、師走(しわす)(同12月)。
[渡辺敏夫]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
太陰暦・陰暦・旧暦とも。月の朔望により暦月を定め,あわせて太陽の運行によって調整した暦法。古代ローマやユダヤ暦・中国暦などがこの暦法に属する。12朔望月を1年とするため,毎年実際の1年に比して11日余短い。このためさまざまな置閏(ちじゅん)法により閏月をおいて両者のずれを調整。また二十四節気や七十二候によって,折々の実際の季節を示すよう工夫されている。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…太陰太陽暦では月の満ち欠けの周期で暦月を決め,その12ヵ月で1年とする。1ヵ月は平均29日半でその12倍は354日にしかならない。…
…そしてそのような思想は《万葉集》にも受け継がれているとし,〈ひさかたの天(あま)のかぐ山,此ゆふべ霞たなびく春たつらしも〉〈うちなびく春たちぬらし,わが門の柳のうれに鶯なきつ〉その他をあげている。さらに宣長は,日本では中国から暦法が入ってくる前は太陽暦思想があったとして,〈かの空なる月による月(朔望月のこと)と年の来経(きへ)とを,しひてひとつに合はすわざ(太陰太陽暦のこと)などもなくて,ただ天地のあるがまゝにてなむありける〉といっている。中国の3世紀のころの書である《魏志倭人伝》にはすでに日本では稲作をしていた記事があり,5世紀ころ加えられた補注には〈其俗正歳四時を知らず,但春耕秋収を記して年紀となす〉とある。…
※「太陰太陽暦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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