デジタル大辞泉
「太陰暦」の意味・読み・例文・類語
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たいいん‐れき【太陰暦】
- 〘 名詞 〙 太陰月を基にして作った暦。小月(二九日)と大月(三〇日)とを適当に配列して、暦のうえの一月の平均の長さを一太陰月(約二九・五三日)に等しくして、一年を一二か月としたもの。イスラム暦がこれにあたる。陰暦。なお太陰太陽暦をいうこともある。⇔太陽暦。
- [初出の実例]「今般太陰暦を廃し太陽暦御頒行相成候に付」(出典:太政官布告第三百三十七号‐明治五年(1872)一一月九日)
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太陰暦【たいいんれき】
陰暦とも。月(太陰)の満ち欠けを基準にして決めた暦。太陽の動きを考慮に入れた太陰太陽暦と,全く考慮しない純太陰暦がある。後者は朔望月(さくぼうげつ)を単位とし,29日,30日の月を交互において一年を354日とし,30年に11回の割合で30日の月を2度続ける(一年は355日)。このため年初が次第に季節より進み,33年でもとに戻る。現行の純太陰暦はヒジュラ暦のみ。
→関連項目暦|週|ローマ暦
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太陰暦 (たいいんれき)
lunar calendar
月の満ち欠けの周期である1朔望月(さくぼうげつ)を基にして組み立て,季節と月日との調節を考えない暦。1朔望月は29日半であるから,その12ヵ月の1年は1太陽年より11日短い。したがってある年に正月が冬至のころとすれば8年ほどで秋分のころ,16年か17年で正月が夏至のころというぐあいになる。日常生活にはたいへん不便であるからあまり使われない。イスラムの人たちが宗教的行事に用いているヒジュラ暦(イスラム暦)が太陰暦として著名である。
執筆者:内田 正男
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太陰暦(たいいんれき)
月の満ち欠け,つまり公転周期(29.531日)にもとづく暦で,1年は354.372日。20世紀初め頃までキリスト教世界以外の地域で広く用いられたが,季節の変化とはずれがあり,近代化のなかで生活に不便になったから,日本,中国,エジプトなどでは,19世紀後半から20世紀前半にかけて順次太陽暦に切り替えられた。ただイスラーム世界では,祭礼は太陰暦(イスラーム暦)に従って行われるために,太陽暦と太陰暦を併用している国が多い。
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太陰暦
たいいんれき
月の満ち欠けの周期の朔望(さくぼう)月(29.53059日)だけを基本周期として日を数える暦法。略して陰暦ともいう。したがって季節の循環周期に無関係であり、農事には適さない。暦の発生当時はいずれの民族・国家でも太陰暦であったであろうと考えられるが、現在この暦法に従うものとしてはイスラム暦(マホメット暦、回回(フイフイ)暦)だけである。広義には太陰太陽暦をも含めて太陰暦というが、とくに区別する必要があるときには太陰暦を純太陰暦という。
[渡辺敏夫]
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太陰暦
たいいんれき
lunar calendar
月の朔望を基準として日数を区切る暦。月は平均 29.53059日 (1朔望月 ) の周期で規則正しく満ち欠けするので,太陰暦は自然に発生した。大部分の古代の暦は太陰暦として出発したが,のちに太陰太陽暦に変っていった。現在トルコ,ペルシア,アラビア,エジプトなどのイスラム教徒の使っているイスラム暦は唯一の純太陰暦である。
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太陰暦
たいいんれき
満月から満月までの29.53059日をもとにして作った暦
純太陰暦(10年後に3か月の遅れが出て暦と季節が無関係になる)と太陰太陽暦(季節のずれを調節するために閏月 (うるうづき) をおき,太陽年に一致させる)がある。前者はシュメールに始まったもので,イスラーム暦が古く,後者はバビロン暦に始まり,ユダヤ・インド・中国でも独自に発展し,日本を含むアジア農耕地帯にも広く行われた。
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太陰暦
月の運行のみを基本とする暦法。陰暦とも呼ぶ。月の公転周期(太陰暦における一ヶ月)は29.53日で、これを12回繰返すと354.36日(太陰暦における1年)となる。地球の公転周期は365.2422日なので、10.88日ほど足りなくなる。太陰暦による暦は実際の季節とはかみ合わない。
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太陰暦
たいいんれき
暦の一種で,月の変化の1周期を基準とする
純太陰暦と太陰太陽暦に分かれる。純太陰暦はまったく太陽の運行を考慮しないが,後者は太陽の運行をもあわせ考えたもので,閏月を設け一太陽年と等しくする。農耕民族は後者を用いる。
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世界大百科事典(旧版)内の太陰暦の言及
【旧石器時代】より
…マドレーヌ期には川べりに残された露営地があり,彼らはそこでサケなどの漁労を行っていたらしい([マドレーヌ文化])。なおA.マルシャークの研究によれば,彼らはすでに太陰暦をもっていたといわれる。それは刻み痕の残された鹿角製の平らな板で,69個の蛇のようにうねって連続する点状の刻みが彫られているが,よく調べてみると刻みには円形,半円形,三日月形などの変化があり,69個の刻みを彫るのに24個の違った道具を用いていることがわかった。…
※「太陰暦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」