百科事典マイペディア 「ローヤル・バレエ団」の意味・わかりやすい解説
ローヤル・バレエ団【ローヤルバレエだん】
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イギリスを代表するバレエ団。この名称は,1956年10月,エリザベス2世により,サドラーズ・ウェルズ・バレエ団Sadler's Wells Balletおよびそのバレエ学校に対して与えられた。バレエ団の歴史は,1926年ド・バロアがロンドンに自己の舞踊学校を創設し,オールド・ビック座の支配人ベーリスの協力を得て,その劇場で上演されるオペラや劇の舞踊場面に生徒たちを出演させたことに始まる。31年それまで閉鎖されていたロンドンの古い劇場サドラーズ・ウェルズ劇場がベーリスにより再開され,ド・バロアのバレエ団も間もなく本拠をここに移し,サドラーズ・ウェルズ・バレエ団とその学校に発展した。ロシア帝室劇場時代の古典の伝統継承を重視し,その訓練法とともに古典作品の上演をめざし,34年までに《ジゼル》や《白鳥の湖》をレパートリー化した。さらに,英国バレエの確立をめざして,ド・バロアみずから作品を作る一方,アシュトンを振付師として登用した。
第2次大戦後M.フォンテインをはじめB.グレー,M.シアラーらすぐれた踊り手が輩出し,46年2月コベント・ガーデン王立歌劇場での《眠れる森の美女》上演を皮切りに,古典およびアシュトン,J.クランコ,K.マクミランらが振り付けた作品がそろい,英国のナショナル・バレエを築き上げた。バレエ団の本拠は同年からコベント・ガーデン劇場に移ったが,現在も別組織でサドラーズ・ウェルズ劇場を使用している。ディレクターは63年ド・バロアからアシュトンへ,70年からマクミランへ引き継がれた。現代の主要舞踊手はパーク,シブリー,シーモア,ペニー,コリア,ダウェル,ウォールらである。1963年初来日。
執筆者:久保 正士
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…サドラーズ・ウェルズ・バレエ学校を経て,ダンサーとして活躍するが,1953年《夢遊病者》で振付師に転じ,以後数多くの作品をつくった。70‐71年のシーズン開幕にアシュトンの後任としてローヤル・バレエ団の芸術監督に就任。71年《アナスタシア》で劇的なものを導入,さらに74年に3幕の《マノン》をつくり,A.F.プレボーの小説のバレエ化に成功した。…
※「ローヤル・バレエ団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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