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ワッハーブ派運動 ワッハーブはうんどうal-Wahhāb

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ワッハーブ派運動
ワッハーブはうんどう
al-Wahhāb

ムハンマド・イブン・アブドゥル・ワッハーブ(1703~92)を始祖とするイスラム復古運動。ワッハーブ派イスラム教の一分派で,現在のサウジアラビアの国教。この名称は成立当時,反対者から与えられたもので,みずからはムワッヒドゥーン Muwahhidūnと呼ぶ。ワッハーブは聖典コーランと預言者ムハンマドの言行(→スンナ)だけを行動の規範とする純潔主義を説き,ムハンマド時代以後の法学者のイジュマー(見解の一致)をビドア(スンナと対立する見解)として否定した。また聖人の崇拝,聖人廟への巡礼を禁じ,コーランの定めた禁酒などの規定を遵守することを説いた。1745年中央アラビアの豪族イブン・サウード家の政治運動と一体化して,勢力をしだいに広げ,19世紀初頭にはアラビア半島の大部分を支配するにいたったが,オスマン帝国の指示を受けたエジプトのムハンマド・アリーの軍に制圧され,1818年に滅んだ。これを第1次ワッハーブ王国という。その後は,イブン・サウード家の勢力の消長と表裏一体をなし,イブン・ラシード家との闘争,メッカのシャリーフとの対決,イギリスとの折衝を経て,1927年サウジアラビア王国が独立するとその国教として,ザイド派に属するイエメンの住民と南・西部海岸地帯の住民を除く,アラビア半島の全域の住民を組織する宗派となった。アラビアにおけるワッハーブ派運動は,東南アジアからアフリカ奥地にいたる全イスラム世界に,思想的にも政治的にも大きな影響を与え,各地にイスラム復古運動を呼び起こした。特にインドでは,パトナを中心に,サイイド・アフマド・バレルビーによって組織され,1824年にはシク教徒に対するジハード(非イスラム教徒に対する聖戦)を宣言して武力闘争を開始した。しかし,インドのイスラム教徒の大部分に受け入れられず,19世紀後半にはインドにおけるこの運動の勢力は急速に衰えた。

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