ワーテルローの戦い(読み)わーてるろーのたたかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワーテルローの戦い」の意味・わかりやすい解説

ワーテルローの戦い
わーてるろーのたたかい

1815年6月に行われた、ナポレオン1世の運命を決した宿命的な戦争。ナポレオンのエルバ島脱出を聞くや、ウィーン会議に列席中の連合軍首脳は、ウェリントン麾下(きか)のイギリス軍約9万5000とブリュッヒャー麾下のプロイセン軍約12万、計20余万の兵力ベルギーブリュッセル南東方のワーテルロー付近に陣し、ナポレオンのフランス軍約12万5000と対峙(たいじ)した。ナポレオンは6月16日、プロイセン軍を討って退却せしめたが、18日イギリス軍を攻撃して激戦中、プロイセン軍の不意の来援戦線を切り崩され、4万の戦死者を出して総退却の憂き目をみた。フランスに帰ったナポレオンは議会に対し、軍の再建復讐(ふくしゅう)戦の準備を要求したが、いれられず、退位を余儀なくされ、百日天下終止符を打った。

[金澤 誠]

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旺文社世界史事典 三訂版 「ワーテルローの戦い」の解説

ワーテルローの戦い
ワーテルローのたたかい
Waterloo

1815年6月18日に行われた,ナポレオン1世とイギリス・オランダ・プロイセン連合軍との戦闘
エルバ島を脱出して帝位に復したナポレオン1世は,ワーテルローの南方でウェリントンの率いるイギリス・オランダ連合軍と対戦したが,ブリュッヘルの率いるプロイセン軍の側面攻撃を受けて大敗し,ナポレオンは退位してセント−ヘレナ島に流された。ワーテルローはベルギーのブリュッセルの南東方にある村。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ワーテルローの戦い」の解説

ワーテルローの戦い(ワーテルローのたたかい)
Waterloo

1815年6月18日,ナポレオン1世はベルギーのワーテルローで,ウェリントン指揮下の連合軍と戦い,プロイセン軍がウェリントンに合流したため完敗を喫し,百日天下が終わった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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