ウェリントン(読み)ウェリントン[こう](英語表記)Arthur Wellesley, 1st Duke of Wellington

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウェリントン」の意味・わかりやすい解説

ウェリントン(公)
ウェリントン[こう]
Wellington, Arthur Wellesley, 1st Duke of

[生]1769.5.1頃.ダブリン
[没]1852.9.14. ケント,ウォールマー城
イギリスの軍人,政治家。 1787年歩兵少尉として陸軍入隊フランス革命戦争に参加,96年インドに転戦マラータ戦争での戦功によりナイトの爵位を受ける。 1807年ポートランド内閣のアイルランド相に就任したが,まもなくナポレオン戦争に参加。卓抜した軍人としての才幹を発揮し,13年にフランス軍を制圧,第1次パリ条約締結 (1814) 後,公爵に叙せられ,王政復古後のフランス駐在イギリス大使に就任した。 15年カスルレー (子)とともにウィーン会議に列席。同地でナポレオン1世のエルバ島脱出の報に接し,G.ブリュッヒャー元帥指揮下のプロシア軍とともにワーテルローの戦いでナポレオンを破り「百日天下」に終らせた。以後3年間北フランスに駐留する連合軍司令官をつとめたが,18年から再び政治家として活躍し,28年内閣を組織,「カトリック教徒解放法」を成立 (29) させたが,議会改革に対して,反改革的立場から強硬に反対し,30年首相を辞任。 46年政界から引退した。

ウェリントン
Wellington

ニュージーランド首都。ノース島の南端,ウェリントン地方,クック海峡に臨む。ウェリントン湾 (旧称ニコルソン湾) を囲むように埋立地,狭い海岸低地,丘陵地に発達する。平均気温1℃ (最寒月) ~26℃ (最暖月) ,年降水量 1271mm。 10世紀にポリネシア人クーペが発見,1839年イギリス人による町の建設が始まり,1865年にオークランドに代わって首都になった。同国の商業,金融の中心地であり,ウェリントン・ハット地区を中心として衣料,輸送機器,食品,印刷,金属,機械,化学など多岐にわたる工業が発達。ウェリントン港を通して石油製品,鉱物,自動車などが輸入され,冷凍肉,新聞印刷用紙,羊毛,チーズ,果物などが輸出される。ビクトリア大学 (1897) ,国立美術館,博物館,中央図書館,動物園,植物園,公園,運動場などがある。政府庁舎は 1876年に建設され,世界最大級の木造建築物として有名。国内空路の中心であり,また国際空港もある。人口 17万9466(2006)。

ウェリントン
Wellington

南アフリカ共和国西ケープ州西部の町。ケープタウン北東約 80kmに位置。果樹栽培や,ワイン,果実缶詰,羊毛加工,皮革業の中心地で,学校,ラグビー場などのスポーツ施設が多い。人口約 2万。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウェリントン」の意味・わかりやすい解説

ウェリントン(ニュージーランド)
うぇりんとん
Wellington

ニュージーランドの首都。北島南部の天然の良港ポート・ニコルソンに臨む。気候は西岸海洋性で、年平均気温12.6℃、年較差7.9℃、年降水量1256ミリメートルで温和である。人口16万3824、衛星都市を含めた大都市圏の人口は33万9747(2001)。市街地はポート・ニコルソン南西部のラムトン港に接する埋立地にあり、官公庁をはじめ企業の本社が集まり、政治、経済の中心である。市街地は背後に丘陵が迫り、拡張の余地がなく、北部にペトーニPetone、ローアー・ハットLower Hutt、アッパー・ハットUpper Huttなどの衛星都市が発達した。港湾施設は完備し、この国第二の貿易港で、外航客船の寄港地でもある。国内航路は、クライストチャーチおよびピクトン間に定期連絡船が就航している。南東部のロンゴタイには国際空港がある。オークランドとの間には特急や寝台列車が走り、陸海空の交通の要衝である。

 1840年にニュージーランド会社により計画された都市で、市名は、同社の創立に関係したウェリントン公爵にちなむ。最初の居住地は北岸のペトーニ側であったが、南風の影響が強いため、今日のラムトン側へ移動した。1865年、オークランドにかわって首都となった。ビクトリア大学(1897創立)、国立博物館、オタリ植物博物館など、教育・文化施設も整っている。1876年に建設された政庁は、世界最大級の木造建築の一つである。

[浅黄谷剛寛]


ウェリントン(Arthur Wellesley, 1st Duke of Wellington)
うぇりんとん
Arthur Wellesley, 1st Duke of Wellington
(1769―1852)

イギリスの軍人、政治家。イートン校、ついでアンジェール士官学校(フランス)に学ぶ。1787年陸軍に入り、94年ネーデルラントに渡って革命フランス軍と戦った。97年インドに赴き、マイソール戦争、マラータ戦争に参加したのち、1805年ヨーロッパに戻り、07年のコペンハーゲン遠征で軍功をあげた。08年ポルトガルに渡り、10年にはマッセナ指揮下のフランス軍のリスボン攻撃をトレス・ベズラシュ要塞(ようさい)で撃退し、12年8月マドリードを解放した。13年元帥に進み、ナポレオンの退位後、公爵に叙され、フランス駐在大使となった。翌15年ウィーン会議に出席し、再起したナポレオンをワーテルローの戦いで破った。こののち、トーリー党、保守党の政治家として活躍し、28年から30年には首相を務め、カトリック教徒解放法を成立させた。晩年になってもピール内閣に閣僚として参加し、社会の変化に柔軟に対応する保守党の路線を確立するうえで大きな貢献をした。

[青木 康]


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