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ナポレオン1世が、1815年3月20日エルバ島からパリに帰って帝制を復活した日から、ワーテルローの戦いに敗れて退位した同年6月29日までの約100日間の政権をいう。前年の4月、ナポレオンは同盟諸国と休戦したのち、自らエルバ島に隠退し、フランスには王政復古が実現される。が、翌15年3月1日に彼はひそかにエルバ島を脱出し、ニースの南ジューアン湾に上陸。各地の農民はじめ旧部下の熱狂的な支援を受けて、帝制を復活した。ナポレオンはバンジャマン・コンスタンに命じて新憲法を起草させ、二院制の議会による責任内閣制を設立した。彼に対し、プロイセン、ロシア、オーストリア、イギリスなど同盟諸国は、ウェリントンを将に20万の軍を集結させ、ベルギーのワーテルローでナポレオン軍を撃破した。ナポレオンは再起を図ったが、議会に反対されてならず、イギリス艦隊の手で身柄をセント・ヘレナ島に流された。
[金澤 誠]
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エルバ島を脱したナポレオンは1815年3月パリに入り,帝位に復したが,ワーテルローの戦いに敗れ,同年6月に退位した。この間約100日であるのでこの名がある。
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…14年パリも占領され,ナポレオンはフォンテンブロー条約により退位し,エルバ島に流された。 ブルボン朝ルイ18世の支配に対する国民の不満を知り,15年エルバ島を脱出してフランスに上陸,百日天下の支配を自由帝政として始めた。しかし彼は往年の精神的緊張力を失っており,同年6月ワーテルローの戦に敗れ,イギリスに投降してセント・ヘレナ島に流され,ロングウッドで15年を送った(図)。…
※「百日天下」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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