百日天下(読み)ひゃくにちてんか(英語表記)Les Cent Jours

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

百日天下
ひゃくにちてんか
Les Cent Jours

ナポレオン1世エルバ島を脱出してパリに到着した 1815年3月 20日から,再度の退位が行われた6月 22日までのナポレオン最後の統治支配をいう。 14年ナポレオンに代ってルイ 18世がフランス王として即位したが,ウィーン会議における列国の利害は一致せず,会議はいたずらに長引いた。国内ではルイ 18世の反動政治が国民の不満を招き,この状況を的確にとらえたナポレオンはひそかにパリに戻った。しかし6月 18日イギリス軍とのワーテルローの会戦に敗れ,ナポレオンは南大西洋上の孤島セントヘレナに流された。

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百科事典マイペディアの解説

百日天下【ひゃくにちてんか】

1815年,ナポレオン1世がルイ18世による王政復古に対する国民の反対ぶりをみて流刑地エルバ島を脱出,3月パリに入り帝位に復した約100日間。しかし6月ワーテルローの戦に敗れて退位。
→関連項目ウィーン会議第一帝政パリ条約ルイ[18世]

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大辞林 第三版の解説

ひゃくにちてんか【百日天下】

ナポレオン一世が、1815年流刑地エルバ島を脱出してパリに入城し再び政権を握ってから、ワーテルローの戦いに敗れ退位するまでの期間をいう。
つかの間の政権獲得をたとえていう語。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

百日天下
ひゃくにちてんか
les Cent joursフランス語

ナポレオン1世が、1815年3月20日エルバ島からパリに帰って帝制を復活した日から、ワーテルローの戦いに敗れて退位した同年6月29日までの約100日間の政権をいう。前年の4月、ナポレオンは同盟諸国と休戦したのち、自らエルバ島に隠退し、フランスには王政復古が実現される。が、翌15年3月1日に彼はひそかにエルバ島を脱出し、ニースの南ジューアン湾に上陸。各地の農民はじめ旧部下の熱狂的な支援を受けて、帝制を復活した。ナポレオンはバンジャマン・コンスタンに命じて新憲法を起草させ、二院制の議会による責任内閣制を設立した。彼に対し、プロイセン、ロシア、オーストリア、イギリスなど同盟諸国は、ウェリントンを将に20万の軍を集結させ、ベルギーのワーテルローでナポレオン軍を撃破した。ナポレオンは再起を図ったが、議会に反対されてならず、イギリス艦隊の手で身柄をセント・ヘレナ島に流された。[金澤 誠]

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世界大百科事典内の百日天下の言及

【ナポレオン[1世]】より

…14年パリも占領され,ナポレオンはフォンテンブロー条約により退位し,エルバ島に流された。 ブルボン朝ルイ18世の支配に対する国民の不満を知り,15年エルバ島を脱出してフランスに上陸,百日天下の支配を自由帝政として始めた。しかし彼は往年の精神的緊張力を失っており,同年6月ワーテルローの戦に敗れ,イギリスに投降してセント・ヘレナ島に流され,ロングウッドで15年を送った(図)。…

※「百日天下」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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