一乗谷朝倉氏遺跡(読み)いちじょうだにあさくらしいせき

国指定史跡ガイド 「一乗谷朝倉氏遺跡」の解説

いちじょうだにあさくらしいせき【一乗谷朝倉氏遺跡】


福井県福井市城戸ノ内町にある戦国時代の城館跡。福井市街の東南約10km、足羽(あすわ)川支流の一乗谷川沿いの細長い谷あいにある、越前国の守護大名朝倉氏の本拠地で、1471年(文明3)から103年間、越前の中心として栄えた。土塁と堀に囲まれた朝倉館を中心に、谷の南北に城戸を設けてその内側を城下町とし、館の東側背後の山に一乗谷城が築かれた。京や奈良の貴族僧侶などの文化人がたびたび下向し、京文化を取り入れて北陸の小京都とも呼ばれたが、1573年(天正1)、天下取りに乗り出した織田信長によって滅ぼされ、城下町も灰燼(かいじん)と帰した。一乗谷川沿いの平地には朝倉館跡のほか、湯殿跡庭園、中の御殿跡、諏訪館跡庭園、南陽寺跡庭園、町屋群、武家屋敷などがみられ、山間部には砦(とりで)・櫓(やぐら)などの跡がある。1971年(昭和46)に国の特別史跡に指定され、1991年(平成3)には4ヵ所の庭園が特別名勝に、2007年(平成19)には陶磁器をはじめとする出土品が重要文化財になった。一乗谷朝倉氏遺跡資料館は、160万点に及ぶ遺物の中から武具や茶道具・建築部材・食膳具などの生活用品を展示し、遺跡の模型を使ってわかりやすく展示している。JR越美北線一乗谷駅から徒歩約30分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

知恵蔵 「一乗谷朝倉氏遺跡」の解説

一乗谷(いちじょうだに)朝倉氏遺跡

福井市にある戦国大名・朝倉氏の室町〜戦国時代の城下町遺跡。1967年以来の調査でこれまでに約11haを発掘調査。その結果、120m四方の館や武家屋敷、短冊形の町屋群、寺院などが計画的につくられ、上、下城戸(巨大土塁)内部に1万人以上が密集していたことが判明。2002年3月、朝倉氏が織田信長に滅ぼされる2年前の1571年につくられた金ぱく張りの珍しい石仏が発見されたのを始め、これまでに中国や東南アジアの陶磁器、武器、生活用具など150万点以上が見つかり、未調査の山城跡を含む278haが国指定特別史跡になっている。

(天野幸弘 朝日新聞記者 / 今井邦彦 朝日新聞記者 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

事典 日本の地域遺産 「一乗谷朝倉氏遺跡」の解説

一乗谷朝倉氏遺跡

(福井県福井市城戸ノ内町10-48)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

百科事典マイペディア 「一乗谷朝倉氏遺跡」の意味・わかりやすい解説

一乗谷朝倉氏遺跡【いちじょうだにあさくらしいせき】

一乗谷

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世界大百科事典(旧版)内の一乗谷朝倉氏遺跡の言及

【一乗谷】より

…福井県福井市街の南東約10kmにある足羽(あすわ)川支流一乗谷川の狭長な谷。1471年(文明3)朝倉敏景が父祖以来の坂南郡三宅黒丸(現,福井市北郊)を捨ててここに築城してから,1573年(天正1)義景が織田信長に滅ぼされるまで,越前守護朝倉氏5代の本拠地であり,戦国期の重要遺構として,両側の山地を含む地域が1971年特別史跡〈一乗谷朝倉氏遺跡〉に指定された。1967年以来の発掘により義景居館,庭園(南陽寺,湯殿,諏訪館。…

※「一乗谷朝倉氏遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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