一全流(読み)いちぜんりゅう

精選版 日本国語大辞典 「一全流」の意味・読み・例文・類語

いちぜん‐りゅう ‥リウ【一全流】

〘名〙 兵学流派一つ宝暦一七五一‐六四)ごろ、尾張愛知県)の藩士近松茂矩の始めたもの。剣、槍、練兵法、甲冑(かっちゅう)法、早乗水練騎射忍法を含む。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「一全流」の意味・わかりやすい解説

一全流
いちぜんりゅう

尾張(おわり)藩の兵学者、近松彦之進茂矩(しげのり)(1697―1778)が唱導した一全流練兵伝(れんぺいでん)をいう。茂矩は幼少から英敏の才をうたわれ、1712年(正徳2)16歳のとき、4代藩主徳川吉通(よしみち)(1689―1713)の御側小姓(おそばこしょう)となり、切米50石・五人扶持(ぶち)を給せられた。しかし、わずか60余日で吉通の急死にあい、御役御免、10石減石、御馬廻(おうままわり)の閑職に落とされた。これに発憤して兵学者としてたつことを決意して、諸流の兵書研究に没頭し、15年9月、19歳で練兵堂という教場を開き、全流練兵伝と称した。そして23年(享保8)27歳のとき、藩命によって武芸指南書を提出するころには、傑出した門人45名を数え、大いに面目を施したという。「素肌(すはだ)の武芸は被甲(ひこう)しては無用の伝多し」として、被甲、疾走、歩伐、騎戦、器制、鎧勝(がいしょう)の六つを組み合わせて教授の体系をたて、単騎練兵教練の次序を10段階に設定し、三略にある「能使三軍如一心則其勝可全」という語から、一全流と改めた。この間、30余流の兵書を集輯(しゅうしゅう)し、8流から免許を得たが、なおこれを不満として、支藩高須(たかす)の太田教品に長沼流を学び、教品の師佐枝尹重(さえぐさただしげ)の書冊門人となって、その伝を受けた。また大坂平住専庵(ひらずみせんあん)、片嶋武矩(かたしまたけのり)らとも親交を結び、橘(たちばな)家伝の神軍必勝伝、自得流砲術、武田流馬術を学び、数多くの兵学武芸書を残している。

[渡邉一郎]

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