道阿弥(読み)どうあみ

朝日日本歴史人物事典 「道阿弥」の解説

道阿弥

没年:応永20.5.9(1413.6.7)
生年:生年不詳
室町前期の近江猿楽比叡座の能役者通称犬王足利義満時代のトップスターで世阿弥の能に大きな影響を与えた。若いころ,佐々木導誉(京極高氏)に認められ,康暦2/天授6(1380)年ごろから勧進猿楽などで大活躍し,観阿弥亡きあとは足利義満の最も愛好する能役者となり,康応1/元中6(1389)年の厳島詣にも同行している。応永3(1396)年一時失脚して出家し犬阿弥と号したが,ほどなくカムバック,義満の法名道義の1字をもらうという破格の待遇を得,道阿弥と称する。歌舞に秀で情趣豊かな芸風であり,応永15年の後小松天皇の北山行幸の際,天覧能の主役を勤めて義満から3000貫もの褒美をもらっており,義満にとってその理想美を舞台に体現する役者であった。死去のときには紫雲が立ったと伝えられる。

(松岡心平)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「道阿弥」の意味・わかりやすい解説

道阿弥
どうあみ
(?―1413)

近江猿楽(おうみさるがく)日吉(ひえ)座の役者。通称犬王(いぬおう)。前号犬阿弥。大和(やまと)猿楽の観阿弥(かんあみ)同様、田楽本座(でんがくほんざ)(京都・白川本拠を置いた座)の一忠(いっちゅう)を師と仰いだ。歌舞に優れ、また物真似(ものまね)にも神経の細かさをみせたが、大衆性を指向しない高雅な芸だったらしい。3代将軍足利義満(あしかがよしみつ)の愛顧を受け、1408年(応永15)の北山邸における後小松(ごこまつ)天皇の天覧能にも出勤。その死去の際には紫雲たなびき花が降ったといい、人格高潔、信仰心も深かったのであろう。

[小林 責]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「道阿弥」の解説

道阿弥(1) どうあみ

?-1413 南北朝-室町時代の能役者。
田楽(でんがく)能の一忠の弟子。近江(おうみ)猿楽の日吉(ひえ)(比叡)座に属す。応安6=文中2年(1373)以前から活動。足利義満の愛顧をうけ,応永15年北山第での後小松天皇の天覧能で主役をつとめる。世阿弥(ぜあみ)におおきな影響をあたえた。応永20年5月9日死去。通称は犬王(いぬおう)。法名ははじめ犬阿弥。

道阿弥(2) どうあみ

山岡景友(やまおか-かげとも)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の道阿弥の言及

【犬王】より

近江猿楽比叡座の能役者。法名道阿弥陀仏(道阿,道阿弥。初め犬阿弥)。…

【世阿弥】より

…彼は観阿弥とほぼ同世代で,応永(1394‐1428)以前から義満に後援されていたが一時失脚し,1401年ころに復活して世阿弥以上に義満に評価された。義満の法名道義の1字をもらって犬阿弥から道阿弥に改称することを許されたし,08年の後小松天皇北山第(義満別邸)行幸の際も,世阿弥ではなくて犬王の芸が天覧に供されている。歌舞に秀で,幽玄(優美)で情趣あふれる能を得意とした彼の芸風が,公家化の傾向を強めていた晩年の義満の意にかなったのであろう。…

※「道阿弥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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