改訂新版 世界大百科事典 「一揆主義」の意味・わかりやすい解説
一揆主義 (いっきしゅぎ)
putschism
フランスでは,すでにフランス革命時代にバブーフによってプロレタリア革命の理論的展望が開かれていたが,その伝統を継承したのがブランキであり,彼の考え方(ブランキスムblanquisme)が一般に一揆主義と呼ばれる。ブランキは,その生涯の半分近くの33年間を獄中で送った革命家で,少数エリートによる権力奪取を説いた。当時のフランスは,政治的にはナポレオン3世の支配から普仏戦争,パリ・コミューンを経て第三共和政へとめまぐるしく変化の激しい不安定な時期であり,また社会経済的にも近代的労働者よりもむしろ小手工業者が多く,プロレタリアートの団結による革命など望むべくもなかった。そこでブランキは,プロレタリアートの前衛たる少数のエリート戦士による反乱,一揆によってブルジョアジーから権力を奪取することを主張したのである。非議会主義,直接行動主義,独裁主義に立つ少数エリート主義のこの思想は,サンディカリスムの形成やマルクス主義にも大きな影響を与えたが,近代労働者群の大量形成とともにしだいに力を失っていき,第一インターナショナルやパリ・コミューンにおいてはマルクス主義者と激しく対立した。しかしながら,暴力革命を説く点では両者は共通であった。特に革命の実行にあたって前衛による武装蜂起が行われるとき,ブランキの説く少数エリート主義が大きな支えとなることは,レーニンのボリシェビキ革命に如実にあらわれているとされる。
執筆者:舛添 要一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報