七城跡(読み)ななじようあと

日本歴史地名大系 「七城跡」の解説

七城跡
ななじようあと

[現在地名]喜界町志戸桶・佐手久

グスク跡。喜界島の北東部、佐手久さでく集落の北西側の崖上にあり、隆起珊瑚礁台地の東端、標高六〇メートルを最高地点とする。当城に七つの通路と七つの門があり、その門に戸の字を当て七戸をななじょうと読んだという。築城については二説ある。壇之浦で敗れた平家一門のうち平資盛が二〇〇人の兵を率いて建仁二年(一二〇二)志戸桶しいー湊の沖名おきな泊に上陸して築いたところへ、元久二年(一二〇五)平有盛・行盛が瀬玉せたま湊に上陸して合流し、のち彼らは奄美大島に渡る。資盛は地元の女性との間に大蛇羅を産み、その大蛇羅が志戸桶と佐手久の村主になって築いたという。他の説は「球陽」の伝えるもので、琉球王府に喜界島が朝貢を止めたので、尚徳王が成化二年(一四六六)二月二八日、自ら二千人の兵を率い五〇隻の軍船で喜界島を襲い、三月五日には荒木あらち海岸に上陸し、当城を築き、その子が志戸桶と佐手久の村主になったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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