七日原(読み)なのかはら

日本歴史地名大系 「七日原」の解説

七日原
なのかはら

[現在地名]蔵王町遠刈田温泉 七ヶ原

まつ川を挟んで遠刈田とおがつた温泉の南西部、不忘ふぼう東麓の広大な原野。近世期、白石城主片倉氏の牧場地であった。「安永風土記」片倉小十郎領分書出に牧場七日原とみえ、南北・東西ともに一里余の広さとある。同風土記によれば、寛保三年(一七四三)六代藩主宗村から牧場取立の命があり、野馬駁媽も下し置かれたので当地に普請し、延享元年(一七四四)より開いたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「七日原」の意味・わかりやすい解説

七日原
なのかはら

宮城県南西部、刈田(かった)郡蔵王町(ざおうまち)の前烏帽子岳(まええぼしだけ)東麓(ろく)に広がる草原。東西3キロメートル、南北4キロメートルの扇状地状の草原で、火山泥流物質からなり、南縁を秋山沢が流れる。1744年(延享1)以来白石(しろいし)城主片倉氏の牧場であった。第二次世界大戦後、引揚者入植、厳しい自然条件のもとで開拓が行われた。現在は県内有数の酪農地域で、蔵王酪農センターがある。国道457号が通じている。

[境田清隆]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「七日原」の意味・わかりやすい解説

七日原
なのかっぱら

宮城県南西部,蔵王山東麓にある草原。蔵王町中西部に位置する。東西 3km,南北 4kmの火山扇状地。寛保3 (1743) 年伊達藩が開拓し,牧場を経営した。明治以降,第2次世界大戦後もさらに開拓され,宮城県の酪農の中心地北部遠刈田温泉がある。

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