七重官園(読み)ななえかんえん

日本歴史地名大系 「七重官園」の解説

七重官園
ななえかんえん

明治三年(一八七〇)開拓使が設けた農事試験場。東京官園から移した動植物などを試験して風土に適するものを民間に広め、農具の使用などを含む欧米風農業を農民に伝習した。七重・飯田いいだ大川おおかわ鶴野つるの藤山ふじやま城山しろやまの各村にまたがり、東西一里一〇町・南北一里二七町余。数本の小川が流れて久根別くねべつ川に注ぐ。事務所は七重村にあった(「事業報告」第一編)

明治三年一一月、プロシア人ガルトネルから返還された土地と付属施設を母体に七重開墾場として設置された(「事業報告」第一編)。同四年三月東京から荏胡麻・藍・練馬大根・葱・牛蒡・近江蕪菁・三河島菜・小松菜・胡瓜西瓜・甜瓜・冬瓜・瓜・於多福大根・蔬菜種子が移された(同書第三編)。農家二〇戸を建てて一八戸・六二人を移住させ、各戸に新墾地六反と農具・家具を給した(「北海道志」巻一四)。同年栃木県から種麻栽培に熟練した者を雇って試作(「事業報告」第三編)、北海道洋種馬の最初とされるアメリカ産種牡馬の流星栗毛を導入。同五年東京官園からアメリカ産牡馬「ブラツキプリンス」を移す(同書第二編)。同年の牛馬は牛五〇頭・耕馬二〇頭であった(「北海道志」巻一四)。明治四年以降山陰地方の楮苗を移植していたが成功せず、同六年青森県から楮苗栽培と製紙に精通した者を雇い、製紙にも着手。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報