七野村(読み)ひつのむら

日本歴史地名大系 「七野村」の解説

七野村
ひつのむら

[現在地名]千種町七野

千種川の流域に位置し、南は下河野けごの村、西は美作国吉野よしの奥海おねみ(現佐用町)。七埜村とも記される(旧高旧領取調帳)。慶長国絵図に「しつの村」とみえる。領主変遷鷹巣たかのす村と同じ。正保郷帳に七野村とみえ、田方一七五石余・畠方六五石余。元禄郷帳では高二六七石余。延宝七年(一六七九)検地帳(七野区有文書)によれば家数四一のうち持高は五一石余を筆頭に、二位四〇石余、三位二二石余で、一石以下は無高を含めて一二戸。


七野村
しちのむら

[現在地名]津幡町七野

津幡川中流左岸、竹橋たけのはし村の西方に位置。「源平盛衰記」巻二九によれば、寿永二年(一一八三)五月、木曾義仲追討のため倶利伽羅くりから山に向かった平氏軍本隊七万余は「井家」から「森本」まで連なったとされ、その間の閑野を「シヅノ」とよみ当地に比定する説がある(加賀志徴)。元和五年(一六一九)の知行所目録(加賀志徴)に「河北郡七野村」とみえる。正保郷帳では高二三九石余、田方一〇町・畑方五町九反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の草高二五八石、免五ツ七分、小物成は山役三三五匁・野役三匁・蝋役二匁・綿役一匁(三箇国高物成帳)。寛文年間の百姓数八(高免付給人帳)。享和二年(一八〇二)連日の大雨で山土が入込み地味が劣り困窮至極として一ツ七歩引免(「河北郡引免根帳」林文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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