旺文社世界史事典 三訂版 「三星堆遺跡」の解説
三星堆遺跡
さんせいたいいせき
1931年イギリス人牧師ドニソーネが,農民から玉石器遺跡の発見を聞いたことが始まり。1956年から本格的な調査と発掘が開始され,86年三星堆遺跡Ⅱ区の2つの「祭祀坑」から,殷代後期に相当する紀元前14世紀末〜前11世紀と推定される多数の青銅器が出土。青銅製品の中に,これまで誰も目にしたことのない巨大な仮面や人頭像が多数存在し注目を集める。鋳造技術による青銅製品や玉器の一部には殷と近似するものがあるが,殷・周の誕生後,なおこれと完全に同化されない高度で独自の文化を保持する集団が存在していたことが明らかになり,この遺跡の存在は,中国における古代文明の形成と発展の過程を考えるうえで,大きな一石を投じることにもなった。なお近年の調査・発掘によって,黄河流域の竜山文化時代に相当する三星堆前期文化と,殷代末期から周代初期あるいはそれ以降にまでわたる三星堆後期文化との2種類の文化を含むことが明らかになっている。
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