地方志(読み)ちほうし(その他表記)Dì fāng zhì

改訂新版 世界大百科事典 「地方志」の意味・わかりやすい解説

地方志 (ちほうし)
Dì fāng zhì

州や県など一地域を単位とした中国の総合的地理書。中国全体の地理書を総志と呼ぶのに対する。後漢時代以降,簡単な地図を伴った郡や国の地理的叙述,〈図経(ずけい)〉が作られ,また特定地方の山川,風俗,古跡などを記載した〈風俗伝〉や〈風土記〉と呼ばれる地理書が出現した。いずれも地方志の原型といえる。晋の江徴の《陳留風俗伝》,周処の《陽羨(ようせん)風土記》などが現存する。4世紀,北方の異民族に追われ,漢民族が新天地の江南にうつると,その地方を対象とした《某々郡志》《某々州記》といった地方史が増加する。こうした古い地方志は清の王謨(おうぼ)が《漢唐地理書鈔》に網羅的に輯(あつ)めている。公的機関が中心になって編纂する《某々図経》の類は南北朝,隋・唐時代にも盛んに作られており,隋代には100巻の《隋諸州図経集》といった書物もできている。とくに隋・唐時代,行政制度が全国的に整い,地方の実情を適確に把握する必要性が増大すると,州単位の〈図経〉編纂が恒常化する。ただ印刷が普及していなかった当時のこととて,その現物敦煌から発見された8世紀初めの《沙州都督府図経》の断片しかみられない。

 10世紀半ばの宋代になると,中央集権官僚体制は前代よりさらに整備され,官制,税制科挙制など広い範囲で,こまかく地方の実情や統計を掲載することが一般化し,12世紀以後は〈図経〉が某州・某県志と呼ばれるように変わる。地方志の編纂は明・清時代にはきわめて盛んに行われ,地方長官が当該地域の学者を動員し資金を募って編纂することが通例となる。このような学者の中でも,〈六経皆史〉のテーゼで知られる清代の史学理論章学誠は実際の地方志の編纂に携わる一方,単なる地理書をこえて〈地方志は地方史〉であらねばならぬとする理論を提出したことで知られる。全国ほとんどの州県に地方志があり,60年に1回,新しく作りかえられることさえまれでなかった。現存する地方志の数は朱士嘉(しゆしか)によれば,古地志と呼ばれる宋・元時代のもの39種,近地志といわれる明と清代のそれが,各770,4655種あるという。地方志は民国,人民共和国を通じても編纂されており,全体の数はこれをかなり上回る。

 地方志の地域の範囲は,省,府,州県の各段階があり,県以下の鎮や郷についての地方志も存する。明・清時代の典型的な地方志は,各種の地図,名勝図を巻首に置き,輿地よち)または地理(沿革,境域,山川,古跡など),建置(城池,官署,学校,廟祠,橋梁,街市など),賦役(租税,徭役),職官,選挙(科挙合格者名簿),名宦(当該地に奉職した官員一覧),人物(当該地出身者),芸文,金石などに項目を分ける。中国研究の細分化とともに,中央の記録では十分に知りえぬ事柄を地方志で補う必要が生じ,とくに明・清時代の税役,行政などの制度史研究にそれは不可欠の材料となっている。この趨勢を反映し,とくに20世紀に入って各国の図書館が争って地方志を集めるようになった。古くは寧波(ニンポー)の范氏天一閣が明代の地方志の収集で知られたが,現在は北京図書館に最も多く地方志が集まっている。日本では東京の東洋文庫が最も多く所蔵し,内閣文庫や天理図書館も優れ,利用のための目録もほぼ完備している。
地誌
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の地方志の言及

【郷紳】より

…族譜・宗譜の盛んな刊行もこれと無縁ではない。また,明後半期からとりわけおびただしく出版された,省・府・県・鎮・村などの各レベルの地方志も,官撰,私撰のいかんを問わず,郷紳・紳士が周辺の読書人を動員して編纂したものであり,彼らがこの時代の地方文化の指導者であったことを示している。なお,アヘン戦争後,外国の商品や資本が流入するに際して,地主的土地所有を基盤に商人・高利貸としての活動を行っていた郷紳・紳士層が海港と各地方との仲介者として重要な役割を果たし,いわゆる半植民地・半封建社会を支えたことも忘れられてはならない。…

※「地方志」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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