ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三木内閣」の意味・わかりやすい解説 三木内閣みきないかくMiki Administration 石油危機後の経済混乱のさなかに田中内閣が「金脈と人脈」問題で倒れた後,三木武夫が椎名悦三郎副総裁の裁定により自民党総裁に選出され,1974年 12月9日に内閣首班に指名された。自民党では左派傍流の三木が総裁に選出されたことは,それだけ自民党の危機感を反映したものといってよい。高度成長時代の終わりと,金権政治の高まりという節目において,三木首相は,独禁法の改正や自民党の総裁選挙の改革に着手したが,三木の党内基盤の弱さもありいずれも失敗に終わった。しかし,衆議院議員定数の是正,選挙に対する国庫負担の拡大などを含む公職選挙法の改正,政党や派閥や政治団体に対する寄付の制限などを定めた政治資金規正法の改正を実現した。外交面においては,日中国交回復後の日韓,日台関係の修復を図り,デタント時代に対応した基盤的防衛力構想に基づく「防衛計画の大綱」や,防衛費の上限を当面 GNPの1%以内に収める決定を行なった。しかし 76年初めのロッキード事件の発覚と,田中前首相の逮捕により自民党では激しい「三木おろし」が起こり,分裂状態となったばかりか,同年 12月の総選挙で自民党は公認候補だけでは過半数を割るという敗北を喫した。三木はその責任を取り,76年 12月 24日退陣した。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「三木内閣」の意味・わかりやすい解説 三木内閣みきないかく →三木武夫内閣 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by