日本歴史地名大系 「三村新田」の解説 三村新田みむらしんでん 千葉県:松戸市三村新田[現在地名]松戸市三村新田三ヶ月(みこぜ)村の西、江戸川と下総台地に挟まれた低地にあり、坂(さか)川の左岸にあたる。当新田を含む一帯の江戸川左岸低地は近世初頭下総台地周縁部の村々によって盛んに開発された。これら開発地は寛文―延宝期(一六六一―八一)の検地を経て再編成され、幾つかの新田村が成立した。当新田のほか九郎左衛門(くろうざえもん)新田・主水(もんと)新田・七右衛門(しちえもん)新田・大谷口(おおやぐち)新田などがそれである。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分に新田名がみえ、高六六石余、幕府領。以後幕末まで同領(旧高旧領取調帳)。 三村新田みむらしんでん 新潟県:中頸城郡三和村三村新田[現在地名]三和村三村新田井野口(いのくち)村の東の平地にあり、南を松之山(まつのやま)街道が東西に走る。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図では、ほぼ当村の位置にあたる「しまくら川」左岸に「楠川左京介分こくか村 上」が描かれ、本納四三石七斗二升九合・縄高一〇三石二斗六升二合、家四軒・一四人で男女とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by