上三原村(読み)かみみはらむら

日本歴史地名大系 「上三原村」の解説

上三原村
かみみはらむら

[現在地名]和田町上三原・上三原飛地かみみはらとびち

黒岩くろいわ村・小向こむかい村の西から北にかけてを村域とし、その大部分山地。江戸時代初期までは黒岩村・中三原村・下三原村とともに三原村一村であったが、寛永八年(一六三一)以後分立して四村になったと伝える(天保一四年「中三原村明細帳」中三原区有文書)元禄郷帳に村名がみえ、高三七八石余。元禄五年(一六九二)まで東条藩西郷氏領であったが、同年上知され、元文村高帳、延享四年(一七四七)の村明細帳(相沢家文書)では幕府領。天保村高帳では幕府領一六石余(八六石余の誤りか)・旗本三枝領一一三石余・同小笠原領一二〇石余(一〇二石余の誤りか)・同本多領七七石余。天保一四年(一八四三)幕府領を除く二九三石余が武蔵忍藩領となるが(忍藩領郷村高帳)、嘉永六年(一八五三)上知され、旧高旧領取調帳では一村上野前橋藩領。


上三原村
かみみはらむら

[現在地名]八千代町大和やまと

中三原村の北西野間のま川の支流大和川(三原川)の最上流域にあり、笠形かさがた山の南に位置する。北西の舟坂ふなさか峠を越えると神東じんとう上牛尾かみうしお(現神崎郡市川町)に至る。加西郡に属した。慶長国絵図に「参原村」とみえる。慶長年間(一五九六―一六一五)奥三原おくみはら村となり、寛永八年(一六三一)上三原村と改められた(加西郡誌)領主変遷は中三原村と同じ。正保郷帳では田方七〇石余・畑方九二石余。延享四年(一七四七)の村明細帳(三草藩陣屋文書)によれば高一七八石余・反別二五町余、家数九〇(高持七九・無高一一)・人数四七三(うち約五〇人出稼)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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